チャレンジ依存症

齋藤 公生鹿島建設株式会社
関西支店土木部専任部長(橋梁担当)
齋藤 公生

鹿島建設で36年目を迎えた。あらゆる建設分野の工事をするゼネコンで働いたわりに、ダムやトンネルには一切関わらず、ずっと橋の仕事をしてきた。国内外で工事も経験したが、7割は橋の設計と技術開発であった。ここでは、時代の移り変わりと私の橋歴を振り返り、今の思いを少しだけ述べたい。 1989年4月、入社と同時に配属された部署では、いくつものPC斜張橋が同時に設計され、次々と工事が始まっていった。設計部で3年を過ごし、府道泉佐野岩出線が田尻漁港を一跨ぎする南大阪湾岸北橋梁(現:田尻スカイブリッジ)の工事現場に転勤した。測量、コンクリート打設、緊張管理に追われながら、最先端のPC斜張橋が出来上がっていくのを間近で学んだ。 94年に設計部に戻った頃から外ケーブルの適用が増え始めた。私は、東海北陸自動車道の開明高架橋を、内ケーブルを使用しない全外ケーブル方式のPC箱桁として設計した。今日では一般的な外ケーブルだが、当時はほとんど前例が無く、全てが手探りだった。日本道路公団の技術陣との仕事は、自身の技術力向上への意欲を大いに高めた。 98年に米国での研修を終えて帰国した頃、静岡県内で第二東名高速道路の建設が進んでいた。私は、内牧高架橋の設計と施工を担当した。ストラットで張出し床版を支持する構造や、箱桁の中央部をスパン・バイ・スパン架設した後に、張出し床版を特殊作業車で場所打ち施工する工法は、国内に前例が無く、やり甲斐ある高いハードルだった。 2005年からは総合評価落札方式が主流となり、上下部一体・設計施工一括で発注された新名神高速道路川下川橋工事などの技術提案を担当した。上下部分離発注で叶わなかった、下部構造への新技術適用を積極的に進めた。 11年から阪神高速道路と共同で、鉄筋を使わない超高強度繊維補強コンクリート製の床版(以下、UFC床版)を開発した。鋼床版を代替する超軽量なワッフル型から始め、老朽化したRC床版の取替えに使用する平板型を追加した。平板型の開発を始めた頃から、高速道路での床版取替えが盛んになり、UFC床版も実適用のフェーズに入った。 18年には阪神高速堺線の玉出入口に平板型を、19年には阪神高速環状線の信濃橋入口にワッフル型を、それぞれ国内初適用した。 20年に阪神高速守口線で、国内初の都市高速道路本線橋での床版取替えに平板型を適用し、23年の阪神高速神戸線での床版取替えにも平板型を適用した。実適用を通して、更なる耐久性・実用性の向上に努めている。 振り返ると、時代に流されながら、ずっと前例のない仕事にチャレンジしてきた。いつの間にか、より強い刺激を求める、依存症に罹ったのかと思う。 一方、世には前例の無いものを採用しない風潮がある。もし、前例に解を見出し続けるなら、遠からずAIが橋梁技術者に取って代わるだろう。前例を超えてより良き解を求め続ける態度が、これまで以上に橋梁技術者に求められるのではなかろうか。私も、しばらくは依存症の治療をやめておこう。 受け取ったバトンは、次々と美しい橋を生み出すデザイナー、大日本ダイヤコンサルタントの松井幹雄さんに繋ぎます。

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