夢をつないで

補修技術設計

和田 祐二国立研究開発法人  科学技術振興機構
フェロー(経済調査会技術顧問)
和田 祐二

私が橋を意識したのは、1962年に開通した若戸大橋と記憶しています。64年の東京オリンピック開催に向け、日本中が「夢と希望」を追いかけていた、高度成長期のど真ん中でした。故郷長野の寒村の土橋は豪雨時に橋が崩落の危険に晒され、学級閉鎖したこと、人を降ろしたバスが橋を渡る光景を覚えています。「この橋が「永久橋」になるぞ!」と喜んでいた父親を思い出します。土木を目指したのも、潜在的に橋への憧れがあったのだと思います。  米国統治下の沖縄が返還された72年に建設省の国道工事事務所に採用され、第一次安倍内閣の2007年に内閣府沖縄総合事務局南部国道事務所に赴任しました。琉球石灰岩、島尻泥岩、亜熱帯特有の凄まじい塩害と闘ったことは苦くも懐かしい思い出です。  東門美津子沖縄市長の「和田さん!新設する比屋根小学校の前に素敵な歩道橋架けてよ、400名の親御さんから署名集めてきたからさ!」に胸を打たれ「錆なく、美しく、楽しく渡れる歩道橋」をコンセプトにH型鋼のトラス・プレキャスト床板・強化ガラスと非排水構造を引っ提げ、琉球大学の矢吹哲哉先生の門を叩きました。  国道329号の拡幅計画も念頭に、群衆荷重をケーブルに負担させる案については、先生に「やりすぎだよ!」と諭され、格点のディテール等に貴重なご示唆をいただき、訪沖された植野芳彦氏にも励まされ「比屋根歩道橋」は完成し、未来を担う学童を守っています。  糸満大橋では、島尻泥岩層の傾斜により鋼殻ケーソンが傾き、西海岸道路では、琉球石灰岩に手を焼き、細径の鋼管矢板は先端閉塞により座屈しました。また、仮締切による止水では、打つ手がないほど苦慮しました。そのため、琉球石灰岩が分布する浦添北道路の海中部の橋脚基礎構造はニューマティックケーソンとしました。後日、様々な経験が、伊良部架橋の設計・施工にも一部反映された旨を知り、報われた思いがしました。  遡りますが、東京国道事務所では日本橋に触れさせていただきました。五街道の道路元標・日本橋ですが、小説や新垣結衣さん出演の映画「麒麟の翼」で若者にも認知されました。話の顛末から、東野圭吾氏が「鰭」でなく「翼」とした意図を窺うことができます。  架橋100年を機として、依田照彦先生と藤野陽三先生に診断していただいた結果、担当した古屋美伸氏によると、L2地震動にも十分耐え得る構造であることが確認されたということで、1000年後も太陽の下で全国に飛翔する人々を見守ってくれることでしょう。先達の知恵と努力と情熱を傾注した橋を健全な姿で次の世代に引き継ぐこと、新たな海峡横断プロジェクト等の実現に向け、夢を絶やさない責務が今の私たちにあると思います。  橋を通じてご指導等いただいた方々をご紹介し稿を閉じます。タコマ海峡橋(技術者の確執:川田忠樹氏)、三郷ジャンクション(飯田剛士氏、小幡光俊氏、川島一彦氏、戸部隆司氏)、両郡橋(他碇式PC斜張橋:佐々木道夫氏・古木守靖氏、西山文男氏・古屋美伸氏)、幸魂橋(鋼斜張橋:吉居孝雄氏、吉野尚治氏)、代田橋駅前歩道橋(鋼トラス:藤井元生氏、乙守和人氏)、崩壊前の辺野喜橋(三木千壽先生、西川和廣氏、下里哲弘先生)、糸満大橋(西銘恒三郎先生)、若狭高架橋(なんみんの滝:翁長雄志氏、深川孝之氏)、勝鬨橋・永代橋(高木千太郎氏)、塩屋橋(鈴木俊雄氏)Myaungmya橋(長井宏平先生)。次回は橋梁設計・維持管理に情熱を燃やす若き技術者西山芳文さんにお願いいたします。

愛知製鋼