吾唯知足2018年12月11日号掲載分

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吾唯知足前号の小欄で、橋梁記者45年のあれこれの一つとして病気のため急逝され、今は鬼籍に入られてしまわれた杉田秀夫さんの指導への感謝と、今も抱く感動の気持を書いたが、少し補筆したい▼1973年、石油ショックに見舞われた日本社会では総需要抑制策のため、当時鳴り物入りで計画が進んでいた本州四国連絡橋3ルート着工が起工式を5日後に控えて延期となってしまった▼その前後、杉田さんは坂出調査事務所長を務められており、鋼製ケーソンの曳船、沈設、モルタル打設など当時は未曽有とも言うべき壮大な技術について懇切丁寧に説明して頂くなど、取材を通じて縁は深まっていた▼水深約50メートルを超える現場に自ら潜る強者であり、現場から戻ったばかりで空気タンクを重そうに背負う姿を何度も見かけている▼当然のことだが体調管理には厳しく、事務所員のランニングの先頭に立ち、また石段で有名な金毘羅宮の「石段マラソン」にも参加されていた▼着工すら定まらぬ不安定な状況の下、地元紙の紙面に「瀬戸大橋、いよいよ着工か」との文字が躍る度、泰然とした態度を崩さないながらも「まるでオオカミ少年の心境ですよ」と苦笑いでそっと囁いた杉田さんの顔が目に焼き付いている。では良いお年を。

愛知製鋼