多くの人に支えられ

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顔写真大日本コンサルタント㈱
東北支社 技術部
構造保全計画室主幹
杉野 亨

私が橋の仕事に携わるきっかけとなったのは、学生時代のアルバイトです。大学3年の頃に橋梁を専門とする設計会社で約1年間働かせて頂きました。そこで実際に設計されていた橋は、決して大きな橋や有名な橋ではなかったのですが、皆さん自分が手掛けた橋に愛着や思い入れが強く、多くの自慢話を聞かせて頂きました。そんな話を聞いているうちに自分も将来できるであろう家族にこんな自慢話をしてみたいという気持ちになり、大日本コンサルタントに入社しました。
入社後2年間は、自らの手で設計計算、図面作成、数量計算等を行い、詳細設計の基礎を身に着けました。その後コンサルタントとして必要な一連の橋梁計画を学んでいきました。
そして、入社7年目にUR都市機構に施工管理員として出向する機会を得ました。後に田中賞を受賞することになる「新豊橋」の現場で、私は橋台、基礎工事を担当しました。ここでは都市土木における周辺住民やインフラ企業との調整の厳しさを痛感しました。しかし、現場を知らない私にURや日特建設の方々が親身に御指導・助言して下さったため、上手く現場をまとめることができました。
会社に戻ってからは、圏央道、中部横断道などの高規格道路の連続高架橋の設計が非常に多く、コンサル合同で設計を進める機会が増えてきました。コンサル合同では技術力を競い合うとともに協力して関係機関協議を完結させるなど、互いに切磋琢磨したことが良い思い出です。この頃に、私にバトンを渡してくれた三井Cの代島隆夫さんや多くの同業者の方と知り合うことができ、今でも大きな財産となっています。また、彼らに負けないように最も勉強した時代だったと思います。おかげで技術士も取得することができました。
2006年に携わった各務原大橋予備設計(PC10径間連続フィンバック橋)ではフィンバックの実物大模型を製作し、実際に利用する地元の方々からご意見を頂きフィンの高さを決定するという貴重な経験を積むことができました。構造性、景観性のみでなく使用性にも配慮し、地元から愛される橋を計画できたのではないかと思います。
ここ数年で最も印象に残っているのは、首都高速1号羽田線大更新の検討業務です。①海面が近いため高耐久構造が必須、②ごく軟弱地盤に加えてモノレールが近接するため基礎を縮小化、③4車線確保を前提とした工事工程の短縮、④東京モノレールとオフィスビル群に挟まれた狭小ヤード、という極めて厳しい条件の中でどのような橋梁を計画するかが課題でした。
最終的には重防食塗装仕様の鋼箱桁橋と鋼製橋脚を剛結合する連続ラーメン橋とすることで下部工基数を減らし、鋼管矢板基礎を縮小して近接影響の緩和と工期短縮を図りました。また、ウナギの寝床のような施工ヤードに迂回路を構築し、半断面施工で本線を更新する計画を立案しましたが、本当に施工可能なのか不安になり、簡易模型を作成して施工性を検証しました。
この時は社内、社外ともに多くの方々に助言を頂き、何とか目標とした成果を達成することができました。現在、私が計画した構造とは若干異なりますが、迂回路が完成し供用されています。まだ数年は工事が続くと思いますので、しばらくは楽しめそうです。
今回、この記事を書かせていただき、多くの方に助けられここまで来たのだということを改めて実感しています。関係の皆様には改めて感謝申し上げます。今後も人との出会いを大切にし、自慢できる橋を作っていければと思います。
次回は設計者と施工者の立場で御一緒して以来、飲み友達となっている川田建設の岩瀬祐二さんにバトンをお渡しします。

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