橋を「つくる」から、「まもる」へ

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春田 健作京都府山城北土木事務所
道路計画室第3担当 主査
春田 健作

私の実家は岐阜県東濃で陶器製造業を営んでいました。工場の事務所も兼ねる家で育ち、幼心に将来は、お茶碗をつくる人になるもんだ、と思っていました。橋の魅力に心打たれたのは、大学進学の時期、本州四国連絡橋のドキュメンタリーでした。明石海峡大橋の主塔、世界最長スパン、ダイナミックな橋の施工管理はミクロン単位で積み上げる。1994年に土木を志し、立命館大学でコンクリートを学びます。恩師の児島孝之先生、高木宣章先生にご指導いただき、橋梁メーカー富士ピー・エスに入社(2000年)することができました。
1カ月の研修の後、波形鋼板ウエブPC箱桁橋(阪神高速道路:中野高架橋)の現場に配属になります。私が初めて与えられた仕事は、廃棄されそうになったボルトをバッカン(産廃コンテナ)から拾い集め、汚れを取り、規格毎に整理する作業でした。「これで、橋のエンジニアになれるのだろうか?」と不安になりながら、測量、墨出し、張出架設のポンプ操作、一歩一歩経験を積みました。
私は、大切な現場ノートを持っています。そのノートには、先輩や大工、鳶ら職人から教わったこと、日々疑問に思ったこと、工程が遅れたこと、生コン車を間違えたこと、業務改善できそうなことを記録してあります。それを、上司の机に朝置いておくと、夕方には、赤字コメント入で返される交換日記のようなやりとりが1年間続きます。私は、振り返ると本当に多くの人、技術者、現場に恵まれて育てていただいたと感謝しています。
2007年から、国土技術政策総合研究所(現、橋梁研究室)へ出向することになり、道路橋示方書、点検要領、長寿命化計画テーマとした研究を行い、全国各地で起こる事故、不具合への対応で、忙殺されていました。米国トラス橋の落橋(I─35W)、宮城内陸地震(祭畤大橋の崩落)の調査に関わった時には、崩落について調査するため過去の工事、点検記録などのデータ分析を行っていました。会社をはじめ、PC建協・橋建協の皆様から「何時でも待機しているので、解らないことがあれば連絡ください」と、協力いただきました。研究室のメンバー、土木研究所、各協会の先輩方のご指導に助けられ、任期を勤めることができました。
その後、豊中市役所、京都府に勤め、橋から少し離れます。市では放置自転車対策、許認可事務、地元対応、福祉、ボランティア活動といった地域に密着した仕事を学ばせていただきました。
府では、橋梁の点検や新技術導入のための知識を得るため、米国カリフォルニア州交通局、ベトナム交通局、NEXCO─West.USA社を訪問する機会を得て、橋梁点検の制度、検査技術、途上国のマネジメントの考え方についてなど、エンジニアと意見を交わし多くの刺激をいただきました。
2016年から2年間は、市町村インフラ維持管理を支援するために設立された財団法人(京都技術サポートセンター)に出向することになります。その間、約4000の橋梁定期点検を担当し、市町の職員と一緒に現場で悩み、議論し、点検調書を作成してきました。その活動でも、島根県や橋梁調査会の応援あり多くの自治体職員の助けになりました。
最近では、先輩技術者があと数年の内に引退するといった話を聞くようになりました。今後の抱負として、橋、道路、公共施設を守るために、これまで教わった技術・知識を我々の世代、次の世代につなげていくよう努力したいと思っています。
次は、私に橋の魅力をいただきました本州四国連絡高速道路、二宮仁司様にリレーします!。

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