鉄骨製作の自動省力化

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協立エンジ㈱ 鉄鋼部部長山崎 鉄朗さん

現職には昨年6月に任ぜられる。架設用の金物類を近隣の鉄工所で製作し納品する業務を担当する。
「自分のところで何か物を作り出す職場ではないが、現場になくてはならない仕事ですね」と語る。
1979年に川田工業技術本部電算センターに入社。川田テクノシステムの前身でシステムエンジニアリングに3年。「土木出身ですがコンピュータをやりながら、電気関係が好きだったことから電子回路を組むようになりました」と話す。
まだパソコンなどなく、ユニバックの大型コンピュータが中心で、ワンボードマイコンがやっと世に出てアセンブラやBASICで動かしている時代だった。
前職は建築用鋼材のBH(溶接H型鋼)を専門に扱うカワダファブリックの社長だった。
川田忠樹社長(現・相談役)が「橋3分の1時代」という橋梁、鉄骨、建築という三分野を柱に社業を構築すると宣言、栃木工場を鉄骨製作工場へ転換することになった。当時は建築から撤退し始める企業が出始めたころで、「世の中に逆行する動き」と揶揄されなかせらも、鉄骨製作の自動・省力化に取り組んだ。
橋梁関係ではプレビーム桁を作ったことはあるが、本格的な箱桁、鈑桁製作の経験はないという。
東京スカイツリーの鉄骨製作時は川田工業栃木工場長だった。ある意味橋梁スペック以上の塗装の要求に、「川田工業の担当した本四架橋の塗装仕様を探して、丹念に読み込みました」と話す。
東京都立大学工学部土木工学科卒。東京都出身の63歳。
(永島誠司)

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