失敗は財産

林 勉川田建設株式会社
執行役員北陸支店長
林 勉
1984年に川田建設に入社し、今年で42年目の年を迎えます。そもそも、橋梁への道は強く志していたわけでなく、富山県南砺市で生まれ、いつも乗っている電車の線路が工場に引き込まれており、その工場は電車の鉄道車両を作っている工場だと思っていました。
大学では橋梁研究室に在籍し、鋼床版のリブ形状の違いによる疲労研究を行っていて、その研究が本州四国連絡橋に生かされていました。生まれ故郷の近くのその工場が本州四国連絡橋の工事に携わっている橋梁メーカーということをその時知り、橋梁の道を目指すきっかけとなりました。
入社以来、28年間は工事現場、7年間は支店工事部長、その後3年間の支店安全品質環境室長を経て、本社安全環境部長に2年従事した後、現在の職が2年目となります。工事現場従事期間は主に橋梁上部工工事を担当し、PCポステン19現場、プレテン4現場、プレビーム7現場、バイプレ2現場、その他PCタンクや床版を4現場、合計36現場を北海道から九州および海外まで携わらせていただきました。(本来は鋼橋を目指して入社したのですが、諸般の事情からほとんどはPC橋梁を担当することになりました・・・。)
「成功は美談、失敗は財産」が、私の座右の銘です。タイトルは文字数制約の関係で「失敗は財産」と書いております。なぜこのような言葉にしているかと言うと、もともと心配性で先のことを考えすぎて、一歩踏み出せないことが多くありました。
振り返ってみると、今、役立っているのは、桁を転倒させた、墜落事故を起こした、架設機械を逸走させた、コンクリートポンプ車を詰まらせて型枠の中からかき出した、グラウト中にホースをパンクさせ撒き散らした等など多くの失敗がありました。その失敗こそが私の仕事を行う上での財産となり『失敗を恐れず、チャレンジと指導』ができるようになりました。
なお、数は失敗に比べ圧倒的に少ないのですが、厚生労働大臣表彰、局長表彰、県知事表彰、21世紀の「人と建設」技術賞など華々しい表彰は成功の証かと思い美談として、飲み会などでは語らせて頂いております。
「失敗は財産」と書いておりますが、2017年、18年と2年連続で私の担当している支店で工事部長時代に重大事故が発生し、安全に対する意識改革を求められました。19年からは安全を担当することとなり、現場に対する見方が180度変わりました。そしてこれまでの安全に対する意識が低かった事に気づき反省させられました。
担当職員や職人さんと伴に安全活動を行うことで、今では重大な災害が減り、現場も私が従事していたころに比べるとはるかによくなりました。安全風土がようやく確立されてきたように思われます。技術や意識の継承に苦労していますが、今後も微力ながらその役割を果たせたらと思っています。
次回は安全活動でさらに高いレベルを実行されている国土の明田川章子さんへバトンをお渡しいたします。

愛知製鋼