橋は1橋ずつ違う課題がある

森川 勝仁株式会社アーバンパイオニア設計
代表取締役社長
森川 勝仁

今回、長大の野本昌弘様から執筆の機会を頂き感謝いたします。 1982年に鳥取大学工学部土木工学科を卒業後、株式会社綜合技術コンサルタントに入社し、主に橋梁の下部工、基礎工の設計に従事しました。その後40年弱の経験で私が思い出深い案件を2件紹介いたします。まず1件目は入社6年目に携わった現在しまなみ海道に架かる、来島海峡大橋の共用アンカレイジの検討業務です。 来島大橋は3連続の吊り橋からなり、中間部のアンカレイジは左右吊り橋の共用アンカレイジになります。当時共用アンカレイジは、アメリカのサンフランシスコに架かるオークランドベイ橋と日本の南北備讃瀬戸大橋の2例しかありませんでした。検討課題は環境への調和からアンカレイジの威圧感を極力小さくするデザインにすることでした。与えられた検討期間は6カ月で、アンカレイジ設計は初めての私にとっては荷が重い仕事でした。 まず共用アンカレイジは左右の吊り橋のケーブルをどのようにアンカレイジに定着させるのかが課題で、いろいろ案は出ましたが最終的には南北備讃瀬戸大橋と同様にアンカレイジ内で約100本のストランドを空中交差させて反対側の壁面に定着させる方法となりました。しかし4A基礎は来島海峡大橋の第一大橋の橋長が960メートルと第二大橋の橋長1515メートルと違うため上部工鋼重比で1対1・8の差があるため、左右非対称の形状を提案しましたが、採用されるか疑心暗鬼でした。その後数年後に完成した橋を見たときは提案した形状だったので驚いた記憶があります。 その後89年に現在の会社を設立して、コンサルタントの協力会社として、計画から報告書作成までできる下請会社を目標に仕事を行ってきました。 次の2件目はやはり95年1月17日に発生した阪神淡路大震災時のことです。当時神戸市内に在住しており自宅の被害と共に、会社の神戸事務所が全壊の被害にあい、鉄道や道路が寸断された状況だったため1週間ほどは自宅周辺から移動ができませんでしたが、その中で神戸市内の橋梁点検業務の依頼を受けました。約200橋程度の橋梁を担当しましたが、点検中には周辺の被災された市民からは「この橋は大丈夫か?」「うちの家を見てほしい」などいろいろ声を掛けられました。断水地区では橋梁下の河川で洗濯をする多くの人がいたことを思い出します。橋梁点検を終えた後は被害が大きく通行止めとなり、架け替えが必要となった神戸市東灘区の魚崎大橋と東魚崎大橋の復旧設計に従事しましたが、災害査定用と実施設計用の各橋2種類の設計図書を同時に作成する必要があり、通常の橋梁設計の数倍の労力を費やし約1年間は集中して対応した記憶があります。 特に東魚崎大橋は橋長64・8メートル、幅員14・3メートルの3径間単純プレテンション方式の橋梁で橋脚基礎はケーソン基礎でしたが、地震により周辺は液状化が発生し橋台、橋脚ともに傾斜による被害が大きいことから、既存のケーソン基礎の周囲に鋼管を打設し鋼管矢板井筒基礎として復旧設計を行いましたが、設計手法を試行錯誤しながら行いました。 その後も年間数十橋の橋梁の設計に携わってきましたが、当然架橋場所の地質条件が違うこともあり、1橋1橋違った課題、問題点がありました。特に小さい橋ほど周囲との取り付けや施工への配慮など課題が多い印象があります。 現在は自身の研究テーマを「土木における木材利用と木橋の活用」とし土木学会の木橋研究小委員会や一般社団法人木橋技術協会で勉強させていただいています。 次回は協同組合土木設計センターの活動でお世話になっている広島県の和幸設計の今田裕之社長にお願いいたします。

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