異世界転生?

山根 隆志極東興和株式会社
代表取締役社長
山根 隆志

最近、学生や若手社員たちと趣味の話をすると異世界へ転生して冒険するアニメの話がよく出てきます。私が留学のためアメリカに渡ったのは33年前。今の会社に就職してPC橋の設計と施工を約10年間経験した後に渡米しました。今思えばその時も異世界へ転生したかのような感覚がありました。あれほど練習したのに英語が聞き取れない話せない、自動車は右側通行、単位はインチ、フィート、パウンド、長さ30メートルのプレテン桁を積んだトレーラーが普通に公道を走る。そして、壮大で美しい景色が広がるロッキー山脈、初めて見る動物たち。当時の私にとっては十分に異世界冒険でした。
大学でも、日本と異なる慣習や厳しい授業・テストに大いにとまどいましたが、逆境を跳ね返して好成績を重ねることができました。理由は何といってもモチベーションです。日本で橋梁技術者として10年間の実務経験を経て大学に戻った私には、授業の内容がすべて実務に直結して応用イメージが湧くため、面白くてしかたがなかったのを覚えています。このような状況をアメリカの教育機関も奨励し、いったん社会で働いたあと大学に戻って学業を修める事を〝Back to School〟と呼んで歓迎していました(本来は子供が新学期に学校に戻るという意味)。そして、留学先で研究し、そのまま修士論文のテーマとなったのが床版取替工事におけるプレキャストPC床版の合理化構造の開発でした。私が留学した1990年代にはアメリカではすでに橋梁の経年劣化が広く顕在化しており、床版取替え工事は延命化対策のメニューの一つだったのです。
濃厚な留学生活を終えて帰国した私は、東京支店に配属されPC橋の設計に従事する傍ら、PC建設業協会、PC技術協会(現:PC工学会)、土木学会などの技術委員会に参加しました。その後は管理職になり、営業部長や営業本部長も経験しましたが、常に技術者として技術の進展に興味を持ち、技術者としての視点を忘れないよう心掛けていたように思います。
この間、本業のPC橋の設計施工だけでなく、杭基礎やコンクリート構造物補修の分野で新技術の開発にも関わりました。アメリカでそれまでの自分の常識を覆す構造や考え方を体感した私にとって、新技術への取り組みが向いていたのかも知れません。
地元である広島の本社に戻った頃、各高速道路会社が高速道路の大規模更新事業に着手し、床版取替え工事の発注が急増しました。社長を拝命して会社全体の責任を負うようになった頃、床版取替え工事は業績においてとても大きなウエイトを占めるようになっていました。
私の人生の岐路となった30年前のアメリカ留学。そこで研究した床版取替えの技術が、社会人生活の大詰めを迎えた現在、会社にとっても私にとっても大きな存在になっていることに運命の不思議を感じざるを得ません。
最後になりましたが、私の留学を許可して全面的にサポートしてくれた会社や社員のみなさん。帰国後に知り合った素晴らしい技術者の皆さんにこの場を借りて感謝の意を表します。次は学生時代から半世紀に渡って付き合ってきたニューテック康和の土井政治さんにバトンを渡します。

愛知製鋼