<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	>

<channel>
	<title>橋梁新聞社 &#187; 橋歴書</title>
	<atom:link href="http://www.kyoryoshimbun.co.jp/category/kyourekisyo/feed/" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>http://www.kyoryoshimbun.co.jp</link>
	<description>わが国唯一の橋梁の専門新聞</description>
	<lastBuildDate>Thu, 20 Aug 2026 15:01:51 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=4.2.36</generator>
	<item>
		<title>仕事に学ぶ日々</title>
		<link>http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e4%bb%95%e4%ba%8b%e3%81%ab%e5%ad%a6%e3%81%b6%e6%97%a5%e3%80%85/</link>
		<comments>http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e4%bb%95%e4%ba%8b%e3%81%ab%e5%ad%a6%e3%81%b6%e6%97%a5%e3%80%85/#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 20 Aug 2026 15:00:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kyoryoshim]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[橋歴書]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.kyoryoshimbun.co.jp/?p=4335</guid>
		<description><![CDATA[復建調査設計株式会社 岡山支社保全構造技術課　課長 元廣　貴喜 「いつかはＰＣ斜張橋を設計してみたい <a class="mh-excerpt-more" href="http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e4%bb%95%e4%ba%8b%e3%81%ab%e5%ad%a6%e3%81%b6%e6%97%a5%e3%80%85/" title="仕事に学ぶ日々">...</a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-full wp-image-4334" src="http://www.kyoryoshimbun.co.jp/wordpress/wp-content/uploads/2026/08/takahiroMotoyoshi.jpg" alt="元廣　貴喜" width="200" height="250" />復建調査設計株式会社<br />
岡山支社保全構造技術課　課長<br />
元廣　貴喜</p>
<p>「いつかはＰＣ斜張橋を設計してみたい」<br />
この思いを抱くようになったのは、学生時代にコンクリート研究室の教授に引率されて見学した、田尻スカイブリッジの建設現場でした。海風の中で、美しいＰＣ斜張橋が少しずつ姿を現していく光景に、深く心を動かされました。さらに、巨大な橋の構造を丁寧に解説してくださった技術士の設計者の姿に強く憧れ、建設コンサルタントの道を志すきっかけとなりました。<br />
私は広島県尾道市に生まれ、平成７年に大学を卒業後、広島市内の建設コンサルタントに入社し、橋梁設計の道を歩み始めました。若い頃に最も印象に残っている業務は、広島県呉市に位置する連続高架橋の設計です。<br />
主に下部工の計画設計を担当し、橋を支える基礎部分の重要性を学びました。華やかな上部工の陰で、目に見えにくい下部工こそが橋の安全性と長寿命化を支えていることを実感しました。また、兵庫県南部地震を契機に耐震設計が大きく見直された道路橋示方書と向き合う日々でもあり、技術者としての基礎を鍛えられた時期でした。<br />
続いて携わった鳥取県米子市の連続高架橋の設計では、橋梁計画全般を担当しました。同一橋梁の分割発注に伴う同業他社との合同協議や設計調整は、技術者として大きな刺激となり、視野を広げる貴重な経験となりました。<br />
平成１２年から１３年にかけては、土木研究所へ交流研究員として出向し、日常の設計実務から離れて技術そのものと向き合いました。理論的な裏付けの重要性を学び、以後の設計実務に確かな軸を与えてくれた、忘れがたい時期です。復帰後は橋梁設計に加え、橋梁点検をはじめとする維持補修分野にも業務の幅を広げました。３０代前半までに得たこうした多様な経験が、現在の私を支える土台になっています。<br />
その後ご縁があり、平成１９年に復建調査設計へ入社しました。現在は岡山支社を拠点に、新設設計から橋梁点検、補修設計まで、岡山県内を中心とした橋梁などの土木構造物に関する調査・設計業務に携わっています。新設と維持管理の両方を経験したからこそ、設計段階で将来の点検や補修まで見据えることの重要性を意識するようになりました。<br />
当社は今年、創業８０周年の節目を迎えました。次の１００周年に向け、従来の建設コンサルタントの枠を超えた「未来社会創造企業」としてさらなる進化を遂げるべく、全社一丸となって新たな挑戦を進めています。<br />
私自身、橋の設計において自分なりの足跡を残したいと願ってきました。それは特別なことではなく、与えられた制約と条件の中で、着実に仕事を積み重ねることだと考えています。これまでの歩みがどれほど公益に資することができたかは恐れ多いですが、今後も自分にできる役割を一つずつ確実に果たしていきたいと思います。<br />
最後に、後進の技術者には、自らの意思で多様な業務に積極的に挑戦してほしいと思います。その地道な積み重ねは、将来必ず大きな財産になると、自身の経験を踏まえて伝えていきたいと思います。次は、技術士取得の際に互いに切磋琢磨し、刺激し合った西日本高速道路エンジニアリング中国の山本雅行さんにバトンをお渡しします。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e4%bb%95%e4%ba%8b%e3%81%ab%e5%ad%a6%e3%81%b6%e6%97%a5%e3%80%85/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>何事にもチャレンジ</title>
		<link>http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e4%bd%95%e4%ba%8b%e3%81%ab%e3%82%82%e3%83%81%e3%83%a3%e3%83%ac%e3%83%b3%e3%82%b8/</link>
		<comments>http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e4%bd%95%e4%ba%8b%e3%81%ab%e3%82%82%e3%83%81%e3%83%a3%e3%83%ac%e3%83%b3%e3%82%b8/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 10 Aug 2026 15:00:05 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kyoryoshim]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[橋歴書]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.kyoryoshimbun.co.jp/?p=4325</guid>
		<description><![CDATA[株式会社エイト日本技術開発 橋梁事業部中国支社構造分野エリアマネージャー 小野　和行 私は、父親の仕 <a class="mh-excerpt-more" href="http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e4%bd%95%e4%ba%8b%e3%81%ab%e3%82%82%e3%83%81%e3%83%a3%e3%83%ac%e3%83%b3%e3%82%b8/" title="何事にもチャレンジ">...</a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-full wp-image-4323" src="http://www.kyoryoshimbun.co.jp/wordpress/wp-content/uploads/2026/08/kazuyukiOno.jpg" alt="小野　和行" width="200" height="250" />株式会社エイト日本技術開発<br />
橋梁事業部中国支社構造分野エリアマネージャー<br />
小野　和行</p>
<p>私は、父親の仕事に影響を受け、関西大学土木工学科に進学し、土木工学の道へ歩み始めました。高知出身の私にとって、当時の大阪は見るものすべてが新鮮で、大学生活も非常に楽しかった記憶があります。当時、土木に関する単位は満遍なく履修しましたが、その中でも構造力学の面白さに惹かれ、４回生では構造研究室を希望しました。卒業研究では、「曲線箱桁の耐荷力に係る実験的研究」に取り組みました。当時、実験は夕方から夜にかけて実施、終了は深夜に及ぶことが通常でした。しかし、実験は解析とは異なり想定していない結果が出ることもあり、この要因を分析することが非常に楽しく、以降の私の考え方の基礎となっているのではないかと思っています。<br />
卒業後は設計コンサルタントに入社し、橋梁設計がメインとなる部署で小規模な橋梁の設計に従事しました。そんな中、平成７年１月１７日の兵庫県南部地震が発生。当時、大阪支店勤務の私は、尼崎市でこの地震を体験しました。この地震で、阪神高速道路をはじめとする橋梁の倒壊を目の当たりにし、大きな衝撃を受けました。この経験から、橋梁の耐震設計のあり方に強い関心を抱くようになりました。<br />
その後、運良く土木研究所耐震研究室振動チームへ交流研究員として出向する機会を得て、耐震設計の最先端技術を学ぶことができました。土木研究所では、橋梁基礎の液状化に関する研究テーマを任され、私は橋脚基礎、当時同時に赴任した元廣さん（元ヒロコン）が橋台基礎を担当しました。当時、研究は職員の方々のアシストはありますが、基本、私たち交流研究員がメインで行い、その研究成果は多くの学会に発表しました。この土木研究所での充実した２年間、職員の方々から多くのアドバイス等を頂き、私のその後の人生に大きな影響を与えたといっても過言ではありませんでした。<br />
土木研究所から大阪支社に戻った後も橋梁設計を続ける中で、神戸にて産官学の研究会として設立された「構造懇話会」に参加する機会を得ました。当時、懇話会の会長は神戸大学川谷教授で、私が幹事を担当していました。その際、川谷教授から「神戸大学での社会人ドクターとして研究しませんか」という誘いを受け、土木研究所出向以来の研究活動ができるということで迷わず入学を決意しました。在学中には様々な困難（紆余曲折）がありましたが、６年間で学位を取得することが出来ました。指導教員である川谷教授、研究アドバイザーの金先生（現京都大学教授）はじめ、その他多くの方々の御指導を賜り、この場をお借りしお礼申し上げます<br />
現在も橋梁技術者として、橋梁設計、補修設計等、幅広く携わっていますが、これまで経験した色々な研究活動が土木技術者として大いに役立っているのではないかと思います。今、若い技術者は、私たちと全く異なる環境で日々の業務を行っているのではないかと思います。これは時代の流れかとは思いますが、若い技術者の方にも「何事にもチャレンジする精神」を伝えていければと思っています。次は土木研究所への出向の際に研究をご一緒した、復建調査設計の元廣貴喜さんにバトンをお渡しします。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e4%bd%95%e4%ba%8b%e3%81%ab%e3%82%82%e3%83%81%e3%83%a3%e3%83%ac%e3%83%b3%e3%82%b8/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>橋梁に関係する方々への感謝</title>
		<link>http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e6%a9%8b%e6%a2%81%e3%81%ab%e9%96%a2%e4%bf%82%e3%81%99%e3%82%8b%e6%96%b9%e3%80%85%e3%81%b8%e3%81%ae%e6%84%9f%e8%ac%9d/</link>
		<comments>http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e6%a9%8b%e6%a2%81%e3%81%ab%e9%96%a2%e4%bf%82%e3%81%99%e3%82%8b%e6%96%b9%e3%80%85%e3%81%b8%e3%81%ae%e6%84%9f%e8%ac%9d/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 20 Jul 2026 15:00:17 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kyoryoshim]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[橋歴書]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.kyoryoshimbun.co.jp/?p=4318</guid>
		<description><![CDATA[協和設計株式会社 代表取締役社長 坪本　正彦 １９９１年に大学を卒業し、協和設計株式会社に入社しまし <a class="mh-excerpt-more" href="http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e6%a9%8b%e6%a2%81%e3%81%ab%e9%96%a2%e4%bf%82%e3%81%99%e3%82%8b%e6%96%b9%e3%80%85%e3%81%b8%e3%81%ae%e6%84%9f%e8%ac%9d/" title="橋梁に関係する方々への感謝">...</a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-full wp-image-4317" src="http://www.kyoryoshimbun.co.jp/wordpress/wp-content/uploads/2026/07/masahikoTsubomoto.jpg" alt="坪本　正彦" width="200" height="250" />協和設計株式会社<br />
代表取締役社長<br />
坪本　正彦</p>
<p>１９９１年に大学を卒業し、協和設計株式会社に入社しました。約３０年にわたり、橋梁を中心とした構造物の設計に携わりました。次々と直面する課題に対し、それなりに対応する時間が経ち、橋梁に関係する方々への感謝と、緊張と真摯な姿勢が非常に大切だと強く感じております。<br />
下積みの数年後に主担当技術者として参画した鋼箱桁の設計業務のことが印象に残っています。鋼箱桁をアーチで補剛した形式で、アーチ支間やライズ等の側面形状を決定し、上下部工の実施設計のすべての工程で作業を行いました。これらは一人で行ったものではなく、多くの方々の協力のもとに成しえたことです。設計完了後、工事段階に架設現場を見学し、完成時にはいろいろな視点場から見て、その外観や細部までに感動しました。その時、一つの疑問が湧きました。〝この橋が完成するまでに、いったい何人の方々が関わったのだろう？　〟という疑問です。<br />
調査設計段階から工事発注、基礎工・下部工の施工、製作・架設等、計り知れず、そもそもの事業計画段階からの発注者や完成後の管理者、或いは交差する河川管理者等を数えれば想像できない方々がこの橋の建設に注力していることに気づきました。同時に、この橋に敬意を表し、自分は設計という段階を担うのだから、以後の工程に支障が無いように全力を投じる責任と義務があることを再認識しました。今もその時のことを鮮明に覚えております。<br />
その後、連続高架橋の設計業務において、他の建設コンサルタント会社と協働する機会がありました。連続高架を幾つかに工区割し、それぞれの工区で設計を行うものです。その折に、設計統一基準の作成や課題抽出とその検討方針と方向性についてコンサル会議を重ねました。コンサル会議には経験豊かな目上の方、自分と同年代の方等々が参加します。全員が橋梁設計のプロですから、その場での資料の説明や回答に注意して発言しました。支間割から上下部・基礎工、施工計画等の検討結果と考察を、段階を踏んで会議を行うことが多いですが、同じ方向性の場合はより円滑に進み、それらが異なった場合には調整すべく議論することになります。<br />
多様な考えが一気に集約される場で、それらをまとめ上げる方、同じ考えを持つ方やそうでない方など千差万別ですが、今思えば〝会議〟を勉強する場であり、技術的に進展する場でもあり、貴重な時間を経験したと思います。その中で、意気投合する方や頼りになる方又は頼りにされる方等が登場し、それ以降もお付き合いさせていただいております。今日も連絡を取り合い、私の財産です。<br />
設計に対して、誠実かつ緊張をもって取り組むことは至極当然のことですが、直接的又は間接的に多くの方々に教わりました。また多くの方々との出会いは、自身における豊かな技術者人生を提供いただいたものと思います。非常に感謝いたします。今後においても、出会う方々との交流を楽しみ、また大切にしたいと考えております。<br />
次は、私の盟友であるエイト日本技術開発の小野和行さんにバトンをお渡しいたします。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e6%a9%8b%e6%a2%81%e3%81%ab%e9%96%a2%e4%bf%82%e3%81%99%e3%82%8b%e6%96%b9%e3%80%85%e3%81%b8%e3%81%ae%e6%84%9f%e8%ac%9d/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>橋梁設計の楽しさに出会って</title>
		<link>http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e6%a9%8b%e6%a2%81%e8%a8%ad%e8%a8%88%e3%81%ae%e6%a5%bd%e3%81%97%e3%81%95%e3%81%ab%e5%87%ba%e4%bc%9a%e3%81%a3%e3%81%a6/</link>
		<comments>http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e6%a9%8b%e6%a2%81%e8%a8%ad%e8%a8%88%e3%81%ae%e6%a5%bd%e3%81%97%e3%81%95%e3%81%ab%e5%87%ba%e4%bc%9a%e3%81%a3%e3%81%a6/#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 10 Jul 2026 15:25:41 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kyoryoshim]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[橋歴書]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.kyoryoshimbun.co.jp/?p=4308</guid>
		<description><![CDATA[東京コンサルタンツ株式会社 執行役員東日本副支社長関東支店長 大野　一成 建設コンサルタント業界に身 <a class="mh-excerpt-more" href="http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e6%a9%8b%e6%a2%81%e8%a8%ad%e8%a8%88%e3%81%ae%e6%a5%bd%e3%81%97%e3%81%95%e3%81%ab%e5%87%ba%e4%bc%9a%e3%81%a3%e3%81%a6/" title="橋梁設計の楽しさに出会って">...</a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-full wp-image-4306" src="http://www.kyoryoshimbun.co.jp/wordpress/wp-content/uploads/2026/07/kazunariOhno.jpg" alt="大野　一成" width="200" height="250" />東京コンサルタンツ株式会社<br />
執行役員東日本副支社長関東支店長<br />
大野　一成</p>
<p>建設コンサルタント業界に身を置いて、まもなく四十年になります。しかし、学生時代から橋梁設計を志していたわけではありません。就職の機会を得た会社で、たまたま橋梁設計に携わることになり、私の技術者人生は始まりました。<br />
有り難いことに、入社当初から主担当として橋梁設計に関わる機会を得ましたが、最初の５年間は日々学ぶことばかりでした。上司の指示に応えるのに精一杯で、主担当として十分に役割を果たせているという実感はなく、橋梁設計の楽しさを感じる余裕はありませんでした。<br />
その意識が変わったのは、予備設計から詳細設計まで一貫して携わった「橋脚高が大きく異なる３径間連続ＰＣラーメン箱桁橋」の設計でした。最適橋種の選定に至る過程やその根拠、構造形式やプロポーションを定める考え方、それらを発注者に納得してもらうための説明には、多くの苦労がありました。<br />
しかし、課題を一つひとつ整理して、形にしていく過程には、それまでにない高揚感がありました。それまで〝作業〟として向き合っていた設計が、〝創造〟へと変わった瞬間であり、橋梁設計の楽しさに出会えた原点でもありました。とりわけ、プロポーションを検討する過程では、橋脚高の違いが橋梁全体のプロポーションや構造挙動に与える影響を読み解く難しさがありました。<br />
設計計算に苦労していた私に、上司は「頭の中に橋の模型をつくり、様々な状態を思い描きながら考えて設計計算しなければならない」と助言してくれました。この言葉をきっかけに、イメージと理論を往復しながら考えることの大切さを学び、技術者としての視野を広げることができたと感じています。<br />
その後、「豪雪地で、アーチ支間が２００メートルを超え、橋下空間が低く、平面曲線と拡幅を伴う中路式鋼アーチ橋」の設計に携わったことが、橋梁設計の楽しさを更に強いものにしてくれました。落雪対策、３部材交差部の安全性確保、斜め大口径深礎やアーチ拱台の施工など、難題の多い橋でしたが、それらを一つずつ乗り越えるたびに、技術者としての達成感と成長を深く感じました。<br />
こうした経験を通じて、橋梁設計を「楽しい」と感じられるかは、与えられた条件の中でいかに主体的に考え、イメージと理論を往復させながら課題解決に取り組めるかにかかっているのではないかと感じています。<br />
今後は、自らが育てていただいたように、若手技術者が早い段階から主体的に橋梁設計に関われる環境作りに力を注ぎ、橋梁設計の楽しさを次の世代へと繋いでいきたいと思います。<br />
振り返れば、橋梁設計が単なる〝作業〟から〝創造〟へと変わった瞬間こそが、私にとっての大きな転機であり、技術者人生の質を高めてくれました。一つひとつの課題を乗り越える中で、得られる高揚感と達成感を大切にしながら、これからも橋梁設計の楽しさを味わっていきたいと思います。<br />
次は、長年にわたり公私ともに大変お世話になっております協和設計代表取締役社長の坪本正彦さんにバトンをお渡しします。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e6%a9%8b%e6%a2%81%e8%a8%ad%e8%a8%88%e3%81%ae%e6%a5%bd%e3%81%97%e3%81%95%e3%81%ab%e5%87%ba%e4%bc%9a%e3%81%a3%e3%81%a6/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>心に残る橋を栃木に</title>
		<link>http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e5%bf%83%e3%81%ab%e6%ae%8b%e3%82%8b%e6%a9%8b%e3%82%92%e6%a0%83%e6%9c%a8%e3%81%ab/</link>
		<comments>http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e5%bf%83%e3%81%ab%e6%ae%8b%e3%82%8b%e6%a9%8b%e3%82%92%e6%a0%83%e6%9c%a8%e3%81%ab/#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 30 Jun 2026 15:21:55 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kyoryoshim]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[橋歴書]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.kyoryoshimbun.co.jp/?p=4300</guid>
		<description><![CDATA[株式会社富貴沢建設コンサルタンツ 専務取締役 高橋　昌宏 中橋（栃木県足利市）のアーチ橋移設工事でお <a class="mh-excerpt-more" href="http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e5%bf%83%e3%81%ab%e6%ae%8b%e3%82%8b%e6%a9%8b%e3%82%92%e6%a0%83%e6%9c%a8%e3%81%ab/" title="心に残る橋を栃木に">...</a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-full wp-image-4298" src="http://www.kyoryoshimbun.co.jp/wordpress/wp-content/uploads/2026/07/masahiroTakahashi.jpg" alt="高橋　昌宏" width="200" height="250" />株式会社富貴沢建設コンサルタンツ<br />
専務取締役<br />
高橋　昌宏</p>
<p>中橋（栃木県足利市）のアーチ橋移設工事でお世話になった巴コーポレーションの西川様のご紹介により、橋への思いについて執筆する機会を頂きました。<br />
私が橋梁設計に初めて携わったのは、入社から５年が過ぎた頃で、それまでは河川や道路設計を担当していました。入社１０年後に、研修で３週間海外へ行く機会があり、構造的に美しく合理的な橋を数多く見ることができました。この経験は、橋梁設計に対する大きな財産となったと感じています。当社は地元である栃木県内の橋梁設計を多く手がけており、身近に橋の状態を確認できます。特に、自身が設計した橋はつい足を止めて、健全度を確かめてしまいます。<br />
思い出に残る橋は実に多くありますが、構造や景観で特に工夫したものを紹介します。<br />
まず、県で初めての本格的な斜張橋です。国内外の斜張橋について調査し、主塔形状を一覧表にまとめました。主塔のデザインが、景観やシンボル性で重要と考えたからです。社内で製作した模型を用いて検討を重ね、逆Ｖ型の１主塔を採用しました。シンプルでシャープな景観となり、満足しています。また、吊桁以外も連続構造とし、活荷重による撓みの減少と走行性の向上を図りました。４径間連続構造は、当時国内初でした。今年も点検で主塔に上ってきました。<br />
次に、花見で賑わう公園と遊園地を結ぶ歩道橋についてです。公園には展望台のある電波塔があり、上路形式が条件でした。一般的にはアーチ橋が選ばれますが、「遊び心とシンボリック性」を重視し、鋼製主桁を有する吊床版橋を採用しました。桁下には撓み軽減のため補助ケーブルを設置し、ねじれ剛性増加と景観向上のためハンガーを斜めに配置しました。支間長１５０メートルは、国内最大級でした。<br />
続いて、観光目的の歩道吊橋です。「温泉と滝と吊橋の町」というキャッチフレーズ通り、町には多くの吊橋がありました。<br />
観光の目玉として、無補剛形式で当時日本一の支間長３２０メートルとなる吊橋が計画されました。耐風索は地形的制約から水平に近く、角度を変化させて検討しましたが、構造的に良いとされる４５度と比べても大きな差は見られませんでした。耐風安定性確保のため、中央部にグレーチング床版による風抜きを設け、木床版取替時の足場としても利用できるなど、維持管理も容易にしました。<br />
また、下路式ローゼ橋では、補剛桁や鉛直材が強調されてしまい、アーチ形状の美しさが損なわれることが気になっていました。そこで、補剛桁をアーチの内側に配置し、ブラケットを設置してアーチとケーブルで繋ぐことで、重厚感を軽減し、走行性も向上させました。<br />
他にも、全断面溶接構造のＴラーメン橋、上路式ブレースドリブアーチ橋、パイプを用いた縦置き床版形式の歩道橋なども設計することができました。<br />
これまで、多くの技術者の方々と出会い、ご指導を賜りました。また、４橋の風洞実験に携わる機会を頂けたことは、私にとってかけがえのない貴重な経験となりました。今後も、栃木に人々の心に残る橋ができればと思います。<br />
次は、日頃よりお世話になっている東京コンサルタンツの大野一成様へバトンを繋ぎます。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e5%bf%83%e3%81%ab%e6%ae%8b%e3%82%8b%e6%a9%8b%e3%82%92%e6%a0%83%e6%9c%a8%e3%81%ab/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>橋の価値を再認識</title>
		<link>http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e6%a9%8b%e3%81%ae%e4%be%a1%e5%80%a4%e3%82%92%e5%86%8d%e8%aa%8d%e8%ad%98/</link>
		<comments>http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e6%a9%8b%e3%81%ae%e4%be%a1%e5%80%a4%e3%82%92%e5%86%8d%e8%aa%8d%e8%ad%98/#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 21 Jun 2026 11:19:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kyoryoshim]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[橋歴書]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.kyoryoshimbun.co.jp/?p=4288</guid>
		<description><![CDATA[株式会社巴コーポレーション 橋梁技術部技術グループ長・計画グループ長 西川宇市郎 私の出身地である長 <a class="mh-excerpt-more" href="http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e6%a9%8b%e3%81%ae%e4%be%a1%e5%80%a4%e3%82%92%e5%86%8d%e8%aa%8d%e8%ad%98/" title="橋の価値を再認識">...</a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-full wp-image-4284" src="http://www.kyoryoshimbun.co.jp/wordpress/wp-content/uploads/2026/06/uichiroNshikawa.jpg" alt="西川　宇市郎" width="200" height="250" />株式会社巴コーポレーション<br />
橋梁技術部技術グループ長・計画グループ長<br />
西川宇市郎</p>
<p>私の出身地である長崎県には多くの大規模橋梁があり、大きな造船所も身近な存在で、巨大な構造物を日常的に目にする環境でした。中学生の頃、当時建設が進んでいた明石海峡大橋のドキュメンタリー番組を見て、巨大な橋がミリ単位の精度で建設されていることを知って驚いたのを覚えています。<br />
大きなものづくりに携わる仕事に魅力を感じ、工業高校、大学へと進学し、平成１５年に巴コーポレーションに入社しました。初めの一年半は鋼橋の架設現場で勤務しました。右も左も分からず苦労しましたが、現場での経験から、作業を安全かつ工程通りに進めるためには事前準備が重要であることを学びました。当時上司からよく言われた「段取り八割」という言葉を覚えています。<br />
現場勤務の後は橋梁技術部へ異動しました。現場で実物を見ていた経験が図面を理解したり、橋に作用する力の流れをイメージする助けになりました。<br />
特に印象深いプロジェクトを３つ挙げると、１つ目は、斜角４５度、曲率Ｒ‖８０メートルという厳しい線形の鋼床版橋での検討です。ずれた配置となっている縦・横の鋼床版現場溶接線の収縮による変形量を格子解析で算出して、桁製作キャンバーに反映しました。この検討を通して、頭の中でイメージした挙動と解析結果が一致する構造解析の面白さを知りました。<br />
２つ目は、パイプトラス構造の歩道橋である「黎明小橋」です。高いデザイン性を実現するために高精度な製作・架設が必要であったため、作業員の方々とも議論しながら、製作方法の細かな検討や構造詳細の改善に取り組みました。ものづくりは製作・架設現場の苦労で成り立っていることを再認識しました。<br />
そして３つ目は、とりわけ印象深い、栃木県足利市の渡良瀬川に架かる「中橋」の移設工事です。１９３６年完成の３連ブレースドリブタイドアーチ橋を、解体することなく大型クレーンで１３メートル下流側へ移設し、歩行者・自転車専用側道橋として再生させるというプロジェクトでした。９０年前のリベット構造の橋体を安全かつ効率的に移設するため、吊点の選定や吊金具の構造設計に頭を悩ませました。移設当日に巨大な橋体が高々と吊り上げられ、無事に移設できた瞬間は感動的でした。多くの住民の方々も見学に来られ、地域のシンボルとなる橋の価値を再認識する機会になりました。この事業において、土木学会よりかけはし賞と田中賞（作品部門）を受賞し、一技術者として携われたことを、大変光栄に思います。<br />
社外活動としては日本橋梁建設協会や鋼橋技術研究会に参加させていただいています。大学の先生方や他社の方々との交流で広い見識を得られるだけでなく、日々の業務へのモチベーションを高める格好の機会となっています。<br />
最近は、橋は交通インフラとしてだけでなく、地域の文化や人々の思い出にも残る大切な資産だと感じるようになりました。中橋移設の見学者の中から将来の橋梁技術者が誕生することに思いを馳せつつ、これまでの経験を活かし、橋の建設を通して社会に貢献していきたいと考えています。<br />
次回は、中橋移設事業で大変お世話になりました、富貴沢建設コンサルタンツの髙橋昌宏様にバトンをお渡しします。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e6%a9%8b%e3%81%ae%e4%be%a1%e5%80%a4%e3%82%92%e5%86%8d%e8%aa%8d%e8%ad%98/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>街に新しい物語を</title>
		<link>http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e8%a1%97%e3%81%ab%e6%96%b0%e3%81%97%e3%81%84%e7%89%a9%e8%aa%9e%e3%82%92/</link>
		<comments>http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e8%a1%97%e3%81%ab%e6%96%b0%e3%81%97%e3%81%84%e7%89%a9%e8%aa%9e%e3%82%92/#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 10 Jun 2026 23:05:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kyoryoshim]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[橋歴書]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.kyoryoshimbun.co.jp/?p=4269</guid>
		<description><![CDATA[株式会社ホシノアーキテクツ 代表取締役 星野　裕明 私は、街スケールの高層建築から住宅、広場のような <a class="mh-excerpt-more" href="http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e8%a1%97%e3%81%ab%e6%96%b0%e3%81%97%e3%81%84%e7%89%a9%e8%aa%9e%e3%82%92/" title="街に新しい物語を">...</a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-full wp-image-4262" src="http://www.kyoryoshimbun.co.jp/wordpress/wp-content/uploads/2026/06/hiroakiHoshino.jpg" alt="星野　裕明" width="200" height="248" />株式会社ホシノアーキテクツ<br />
代表取締役<br />
星野　裕明</p>
<p>私は、街スケールの高層建築から住宅、広場のようなランドスケープ、テーマパーク、住居のインテリアに至るまで、幅広いスケールのデザインに携わってきた。そうした多様な設計活動の中で、幸運にも橋のデザインに取り組む機会を得た。２０２４年３月に開通した、東京湾岸エリアの勝どきと晴海をつなぐ人道橋「黎明小橋」である。<br />
橋という存在を強く意識するようになった背景には、これまで出会ってきたさまざまな橋の記憶がある。早稲田大学で建築を学び、大学院で意匠設計を深めた後に移り住んだロンドンでは、ヨーロッパの橋がもつ豊かな意味に強く惹かれた。<br />
たとえば、ロンドンの観光名所でもあるタワーブリッジ。その美しい造形だけでなく、左右のゴシック様式の主塔を結ぶ上部空間には博物館機能が組み込まれ、貸切イベントなどにも活用されている。橋が単なる交通インフラではなく、人々が滞在し、体験を共有する「建築」となり得ることを示す象徴的な存在だった。<br />
また、パリのポン・デ・ザールでは、かつて無数の南京錠が欄干を埋め尽くしていた光景が印象に残っている。現在では安全上の理由から撤去されているが、人々が橋に願いや記憶を託し、街に新たな物語を重ねていく。その姿は、橋が都市のランドマークとして、人と街との関係を豊かに育む装置であることを教えてくれた。<br />
さらに、ロンドンのミレニアムブリッジ。ノーマン・フォスターが手がけたこの橋は、歴史的なランドマークであるセントポール大聖堂と、現代の文化拠点であるテート・モダンを結ぶ。異なる時代を接続しながら、歩くことで都市を新たに体験させるその設計は、橋そのものが都市を読み替える視点になり得ることを示していた。<br />
こうした橋との出会いを通して私が強く感じたのは、橋とは「つなぐ」ためだけの構造物ではなく、人と場所、時間と記憶を結び、新たな風景を生み出す存在だということである。<br />
「黎明小橋」のデザインでは、その思想を東京の水辺に重ね合わせた。穏やかな水面に広がる波のように、橋全体に柔らかな曲線を与え、連続する白い部材を水上に浮かぶように配置することで、軽やかで繊細なウェーブを表現している。水面に映り込む橋の姿は、実体と反射が重なり合い、幾重にも波が広がっていくような印象をつくり出す。<br />
また、三次元的に変化するその形態は、見るだけでなく、渡ることでその動きを身体的に感じられるよう意図している。橋を歩くこと自体が、小さな体験となるようなデザインである。<br />
夜には、照明が季節や曜日に応じてゆっくりと色を変えながら、橋に異なる表情を与える。上下で異なるリズムを持つ光のグラデーションが重なり合い、その瞬間ごとに異なる色彩の組み合わせを生み出す。日々この橋を目にする人々にとって、そのわずかな変化が、新しい街の時間の流れを感じる小さな楽しみになればと考えた。<br />
橋は、場所をつなぐだけではない。人の記憶をつなぎ、街に新しい物語を生み出していく。<br />
「黎明小橋」が、この湾岸の風景の中で、そうした存在として育っていくことを願っている。<br />
次は、「黎明小橋」のトラス製造・架設で協力いただいた西川宇市郎氏にバトンを渡したいと思う。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e8%a1%97%e3%81%ab%e6%96%b0%e3%81%97%e3%81%84%e7%89%a9%e8%aa%9e%e3%82%92/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>私の岐路と橋梁設計</title>
		<link>http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e7%a7%81%e3%81%ae%e5%b2%90%e8%b7%af%e3%81%a8%e6%a9%8b%e6%a2%81%e8%a8%ad%e8%a8%88/</link>
		<comments>http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e7%a7%81%e3%81%ae%e5%b2%90%e8%b7%af%e3%81%a8%e6%a9%8b%e6%a2%81%e8%a8%ad%e8%a8%88/#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 31 May 2026 15:01:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kyoryoshim]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[橋歴書]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.kyoryoshimbun.co.jp/?p=4240</guid>
		<description><![CDATA[株式会社綜合技術コンサルタント 東京支社構造Ⅰ部 技術部長 俵谷　保男 世界遺産吉野山へ至る鉄路を支 <a class="mh-excerpt-more" href="http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e7%a7%81%e3%81%ae%e5%b2%90%e8%b7%af%e3%81%a8%e6%a9%8b%e6%a2%81%e8%a8%ad%e8%a8%88/" title="私の岐路と橋梁設計">...</a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-full wp-image-4237" src="http://www.kyoryoshimbun.co.jp/wordpress/wp-content/uploads/2026/05/yasuoTawaratani.jpg" alt="俵谷　保男" width="200" height="250" />株式会社綜合技術コンサルタント<br />
東京支社構造Ⅰ部 技術部長<br />
俵谷　保男</p>
<p>世界遺産吉野山へ至る鉄路を支える近鉄吉野川橋梁（上路プラットトラス橋：土木遺産）は、幼少期に強烈な印象を刻んだ橋梁です。両親の出身がこの地であり、父の運転する車の中から見た橋の姿は、今も強く心に残っています。時が流れ、大学進学を機に大阪工業大学工学部土木工学科へ入学しました。<br />
当時は、構造工学の岡村宏一先生、堀川都志雄先生、橋梁工学の栗田章光先生、コンクリート工学の小林和夫先生、井上晋先生（現学長）の指導を受けました。できることなら、もう一度講義を受けてみたい先生方です。<br />
人生最初の岐路は、栗田先生の橋梁工学研究室に所属したことです。研究室では大学院進学者が私一人のため、テーマは「合成柱」限定でした。実は、橋梁研でダイナミックなトラス橋のような研究を想像していたことから、地面から突き出る一本柱の研究は、当初地味に感じました。<br />
一方で当時、博士課程の大山理先生（現・大阪工大教授）の二重合成連続箱桁橋の研究は、いかにも「橋梁」という印象で羨ましく眺めていた記憶があります。<br />
さて、合成柱の研究では、学部の講義ではなかった全塑性や弾塑性理論を学び、さらに阪神・淡路大震災後という時代背景の中で、先輩から引き継いだ地震時保有水平耐力法のＦＯＲＴＲＡＮプログラムを用いた解析に取り組みました。実はこの経験が、社会人になってからの下部工・耐震設計での考え方に大いに役立つことになります。<br />
博士前期課程の修了後、平成１２年に綜合技術コンサルタントに入社し、東京支社配属が大きな岐路でした。当時圏央道設計業務が活況を呈していた背景からの配属だったのでしょう。東京は初めての地でしたが、今年をもって人生で最も過ごした地となります。<br />
こうして迎えた１年目から、２３基の下部工設計を担当することになりました。学生時代に学んだ地震時保有水平耐力法を駆使して――そんな思いは現実の前に早々に打ち砕かれます。<br />
下部工設計は、柱だけでなく、フーチングや基礎、さらには土質分野まで含めた総合的な検討と設計の積み重ねであることを上司から教えられ、勉強のやり直しでした。その最初の設計が、現在のさがみ縦貫道・茅ヶ崎ＪＣＴです。これがその後のジャンクション「岐路」設計に関わるきっかけとなるのですが、１０年以上を経て橋梁全体の設計も担当するようになりました。<br />
山形県の日沿道の高架橋設計では、橋台周辺の軟弱地盤に関する検討を重ねたことが強く印象に残っています。さらに施工計画検討などの業務も担当することになり、千葉圏央道や、桶川ジャンクション周辺の施工検討、首都高下の国道３５７号東京湾岸道路・本牧ジャンクションの施工検討も経験しました。そして、圏央道（横浜環状南線）栄ＪＣＴでは、管理技術者として橋梁設計業務を担当し、現在も施工検討業務等に従事しています。業務以外では、（前号の）今川先生からの紹介のとおり、日独橋梁シンポジウムへの参加や、土木学会構造工学委員会で皆様にお世話になりました。<br />
次のバトンは、これも岐路で出会った共通の友人つながりで、東京・勝どき「黎明小橋」のデザインをされたホシノアーキテクツ代表取締役・星野裕明さんにお願いしたいと思います。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e7%a7%81%e3%81%ae%e5%b2%90%e8%b7%af%e3%81%a8%e6%a9%8b%e6%a2%81%e8%a8%ad%e8%a8%88/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>あの日の橋が拓く道</title>
		<link>http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e3%81%82%e3%81%ae%e6%97%a5%e3%81%ae%e6%a9%8b%e3%81%8c%e6%8b%93%e3%81%8f%e9%81%93/</link>
		<comments>http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e3%81%82%e3%81%ae%e6%97%a5%e3%81%ae%e6%a9%8b%e3%81%8c%e6%8b%93%e3%81%8f%e9%81%93/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 11 May 2026 07:15:26 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kyoryoshim]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[橋歴書]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.kyoryoshimbun.co.jp/?p=4248</guid>
		<description><![CDATA[大阪工業大学 工学部 都市デザイン工学科准教授 今川　雄亮 大学受験を控え、何を学びたいか悩んでいた <a class="mh-excerpt-more" href="http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e3%81%82%e3%81%ae%e6%97%a5%e3%81%ae%e6%a9%8b%e3%81%8c%e6%8b%93%e3%81%8f%e9%81%93/" title="あの日の橋が拓く道">...</a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-full wp-image-4245" src="http://www.kyoryoshimbun.co.jp/wordpress/wp-content/uploads/2026/06/yusukeImagawa.jpg" alt="今川　雄亮" width="200" height="250" />大阪工業大学 工学部<br />
都市デザイン工学科准教授<br />
今川　雄亮</p>
<p>大学受験を控え、何を学びたいか悩んでいたとき、小学生の頃に家族旅行で訪れた開通直後の瀬戸大橋をふと思い出し、「橋について学びたい」と考えたことを覚えています。橋は土木工学科で学べると知り、都会への憧れもあって大阪工業大学に入学しました。何となく選んだこの道でしたが、恩師・栗田章光先生との出会いにより、構造工学や橋梁工学への関心が明確になりました。特に、先生が専門とされた複合構造は、鋼とコンクリートの短所を補い長所を活かすことで、合理的で自由度の高い構造を実現できる点に魅力を感じ、導かれるように先生の研究室を志望しました。研究室に所属した２０００年代は、高速道路を中心に鋼少数主桁橋や波形鋼板ウェブＰＣ橋などの複合構造が本格的に実用化された時代で、ゼミ旅行で訪れた建設現場の見学は貴重な経験となりました。<br />
大学院では「鋼・コンクリート合成桁橋の耐火性能に関する研究」に取り組みました。車両事故や失火による火災を受けた橋梁の安全性評価を目的に、加熱時および加熱冷却後の頭付きスタッドの力学特性に着目した実験を行いました。着任間もない大山理先生にもご指導いただき、何とか博士論文を完成させましたが、このとき将来ご一緒に働くことになるとは想像もしていませんでした。<br />
博士課程を修了した２００９年、「橋をつくる仕事」から「橋を守る仕事」への関心も高まり、フジエンジニアリング（現・ＮＥＸＣＯ西日本イノベーションズ）に就職しました。入社後まもなく担当した業務は、鋼床版の疲労損傷に関する調査でした。数センチ単位でタイヤの通過位置を変えながら、トラフリブに生じるひずみや変形を詳細に計測しました。上司や同僚の協力を得て、調査計画の立案から計測装置の製作、データ整理まで一貫して取り組みました。当時の社長・杦本正信氏から学んだ「自ら考え、自らの手で実行する」という姿勢は、現在の教育理念となっています。<br />
２０１７年、縁あって母校の大阪工業大学に着任しました。慣れてきた頃にコロナ禍も重なり、あっという間に５年が過ぎた２０２２年、学内の海外研修制度を利用してポーランドのヴロツワフ工科大学に半年間留学する機会をいただきました。複合構造を専門とするローレンツ先生の研究チームのもと、欧州で開発された新形式の合成桁について学びました。現在も交流を続けながら、日本への適用を目指した共同研究を進めています。<br />
また、土木学会の小委員会をきっかけに、ものつくり大学の大垣賀津雄先生や関西大学の石川敏之先生らと「弾性合成桁設計の構築」に関する共同研究にも取り組んでいます。合成桁橋の床版取替えにプレキャストＰＣ床版を適用する際、スタッドの配置が制約される条件下で、スタッドを減らしても適切な合成効果を確保する設計法の確立を目指しています。<br />
まだ橋梁人生の折り返し地点にありますが、多くの方々との出会いに支えられてきました。これまでの出会いに感謝するとともに、これからの出会いも大切にして、この道を拓いていきたいと思います。<br />
次は、日独橋梁シンポジウムでお世話になっている綜合技術コンサルタントの俵谷保男先輩にバトンをつなぎます。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e3%81%82%e3%81%ae%e6%97%a5%e3%81%ae%e6%a9%8b%e3%81%8c%e6%8b%93%e3%81%8f%e9%81%93/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>国鉄から建設省（国土交通省）へ</title>
		<link>http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e5%9b%bd%e9%89%84%e3%81%8b%e3%82%89%e5%bb%ba%e8%a8%ad%e7%9c%81%ef%bc%88%e5%9b%bd%e5%9c%9f%e4%ba%a4%e9%80%9a%e7%9c%81%ef%bc%89%e3%81%b8/</link>
		<comments>http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e5%9b%bd%e9%89%84%e3%81%8b%e3%82%89%e5%bb%ba%e8%a8%ad%e7%9c%81%ef%bc%88%e5%9b%bd%e5%9c%9f%e4%ba%a4%e9%80%9a%e7%9c%81%ef%bc%89%e3%81%b8/#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 01 May 2026 04:04:49 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kyoryoshim]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[橋歴書]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.kyoryoshimbun.co.jp/?p=4231</guid>
		<description><![CDATA[瀧上工業株式会社 橋梁インフラ本部 技術統括部大阪支店 技術部長 先本　勉 岡山県北の城下町、津山に <a class="mh-excerpt-more" href="http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e5%9b%bd%e9%89%84%e3%81%8b%e3%82%89%e5%bb%ba%e8%a8%ad%e7%9c%81%ef%bc%88%e5%9b%bd%e5%9c%9f%e4%ba%a4%e9%80%9a%e7%9c%81%ef%bc%89%e3%81%b8/" title="国鉄から建設省（国土交通省）へ">...</a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-full wp-image-4228" src="http://www.kyoryoshimbun.co.jp/wordpress/wp-content/uploads/2026/05/tsutomuSakimoto.jpg" alt="先本　勉" width="200" height="250" />瀧上工業株式会社<br />
橋梁インフラ本部 技術統括部大阪支店 技術部長<br />
先本　勉</p>
<p>岡山県北の城下町、津山に生まれ、多くの学科の中から、土木科を選んだのが土木人生の始まりでした。当時の田中角栄「列島改造論」に影響を受けたのかもしれません。就職は、父が国鉄職員だったこともあり、昭和４８年４月国鉄大阪工事局でした。昭和５３年東海道本線野洲川橋梁の架け替え工事では、中央径間は全国初の鋼直結（枕木が無い）３径間連続トラス橋、右岸、左岸の騒音緩衝部はスルー桁形式のＰＣ桁で横締めに試験的アンボンド材を使用した記憶があります。<br />
その後、東京第三工事局に転勤になり、東北新幹線の建設に携わり赤羽高架橋を担当し、国鉄構造物設計事務所の先輩と千葉県の橋梁製作工場に、材料検査～原寸検査～製品検査～仮組検査に向ったことが、鋼橋との付き合いの始まりでした。<br />
昭和６２年の国鉄改革により、建設省（現国土交通省）近畿地方建設局に入局しました。入局後一番印象に残っているのは、平成５～８年に関わった「車両の大型化に伴う２５ｔ対応」と「阪神淡路大震災」に関連する業務です。２５ｔ対応では、設計輪荷重が８ｔ→１０ｔに変わることにより、全ての橋梁床版の耐荷力が不足することになるとの疑問はありましたが、死活荷重比による照査手法や実応力測定を実施するなどの手法が示され、管内橋梁の対応の中では、当時の松井繁之大阪大学教授を中心に「床版上面増厚工法のマニュアル」を作成、全国に発信した時は大きな反響がありました。<br />
平成７年１月阪神淡路大震災では、被災した浜手バイパス他３５橋等、約１０００億円の災害復旧費申請書と復旧工事に携わり、徹夜の連続でしたが、耐震補強に係わる「復旧仕様」の作成に協力頂いた当時の関係者には感謝しています。その後は京奈和自動車道や第二京阪道路に携わり、第二京阪道路では高度技術提案型総合評価落札方式、デザインビルド方式により、一括製造・架設する「Ｕ型リフティング架設工法」、「セグメント後方組立方式スパンバイスパン架設工法」を採用したことは省力化・効率化、品質や工期の面で優位であったと考えます。退職前には、各府県の「メンテナンス会議」、産・学・官連携「新都市社会融合創造研究会」のプロジェクト立ち上げ、「橋梁ドクター」の担当者として、学識経験者や業界の方々との出会いは私にとって大きな財産となっています。<br />
その後、（一社）近畿建設協会に再就職、（一財）災害科学研究所社会基盤維持管理研究会に所属し、市町村支援のために「道路管理者のための中小規模橋梁の維持管理ハンドブック」「市町村が管理する橋梁の維持管理ハンドブック」の執筆者として参画できたことは、技術者として大変光栄でした。<br />
現在は瀧上工業で、鋼橋に関わっています。私の橋梁技術の原点は「現場を診て」「現場とふれ合って」「考えて」「聴く」であったと思っています。また、プロジェクトを進めるにあたっては、発注者、受注者で立場が違うなか、一体感を持って同じ目的に向かって行くことが仕事のやりがいに繋がり、完成時の感動も一入でありました。<br />
次回は、研究会などでお世話になっている今川雄亮大阪工業大学准教授にバトンをお渡ししたいと思います。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e5%9b%bd%e9%89%84%e3%81%8b%e3%82%89%e5%bb%ba%e8%a8%ad%e7%9c%81%ef%bc%88%e5%9b%bd%e5%9c%9f%e4%ba%a4%e9%80%9a%e7%9c%81%ef%bc%89%e3%81%b8/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
	</channel>
</rss>
