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	<title>橋梁新聞社 &#187; 橋歴書</title>
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	<description>わが国唯一の橋梁の専門新聞</description>
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		<title>心に残る橋を栃木に</title>
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		<pubDate>Tue, 30 Jun 2026 15:21:55 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kyoryoshim]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[橋歴書]]></category>

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		<description><![CDATA[株式会社富貴沢建設コンサルタンツ 専務取締役 高橋　昌宏 中橋（栃木県足利市）のアーチ橋移設工事でお <a class="mh-excerpt-more" href="http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e5%bf%83%e3%81%ab%e6%ae%8b%e3%82%8b%e6%a9%8b%e3%82%92%e6%a0%83%e6%9c%a8%e3%81%ab/" title="心に残る橋を栃木に">...</a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-full wp-image-4298" src="http://www.kyoryoshimbun.co.jp/wordpress/wp-content/uploads/2026/07/masahiroTakahashi.jpg" alt="高橋　昌宏" width="200" height="250" />株式会社富貴沢建設コンサルタンツ<br />
専務取締役<br />
高橋　昌宏</p>
<p>中橋（栃木県足利市）のアーチ橋移設工事でお世話になった巴コーポレーションの西川様のご紹介により、橋への思いについて執筆する機会を頂きました。<br />
私が橋梁設計に初めて携わったのは、入社から５年が過ぎた頃で、それまでは河川や道路設計を担当していました。入社１０年後に、研修で３週間海外へ行く機会があり、構造的に美しく合理的な橋を数多く見ることができました。この経験は、橋梁設計に対する大きな財産となったと感じています。当社は地元である栃木県内の橋梁設計を多く手がけており、身近に橋の状態を確認できます。特に、自身が設計した橋はつい足を止めて、健全度を確かめてしまいます。<br />
思い出に残る橋は実に多くありますが、構造や景観で特に工夫したものを紹介します。<br />
まず、県で初めての本格的な斜張橋です。国内外の斜張橋について調査し、主塔形状を一覧表にまとめました。主塔のデザインが、景観やシンボル性で重要と考えたからです。社内で製作した模型を用いて検討を重ね、逆Ｖ型の１主塔を採用しました。シンプルでシャープな景観となり、満足しています。また、吊桁以外も連続構造とし、活荷重による撓みの減少と走行性の向上を図りました。４径間連続構造は、当時国内初でした。今年も点検で主塔に上ってきました。<br />
次に、花見で賑わう公園と遊園地を結ぶ歩道橋についてです。公園には展望台のある電波塔があり、上路形式が条件でした。一般的にはアーチ橋が選ばれますが、「遊び心とシンボリック性」を重視し、鋼製主桁を有する吊床版橋を採用しました。桁下には撓み軽減のため補助ケーブルを設置し、ねじれ剛性増加と景観向上のためハンガーを斜めに配置しました。支間長１５０メートルは、国内最大級でした。<br />
続いて、観光目的の歩道吊橋です。「温泉と滝と吊橋の町」というキャッチフレーズ通り、町には多くの吊橋がありました。<br />
観光の目玉として、無補剛形式で当時日本一の支間長３２０メートルとなる吊橋が計画されました。耐風索は地形的制約から水平に近く、角度を変化させて検討しましたが、構造的に良いとされる４５度と比べても大きな差は見られませんでした。耐風安定性確保のため、中央部にグレーチング床版による風抜きを設け、木床版取替時の足場としても利用できるなど、維持管理も容易にしました。<br />
また、下路式ローゼ橋では、補剛桁や鉛直材が強調されてしまい、アーチ形状の美しさが損なわれることが気になっていました。そこで、補剛桁をアーチの内側に配置し、ブラケットを設置してアーチとケーブルで繋ぐことで、重厚感を軽減し、走行性も向上させました。<br />
他にも、全断面溶接構造のＴラーメン橋、上路式ブレースドリブアーチ橋、パイプを用いた縦置き床版形式の歩道橋なども設計することができました。<br />
これまで、多くの技術者の方々と出会い、ご指導を賜りました。また、４橋の風洞実験に携わる機会を頂けたことは、私にとってかけがえのない貴重な経験となりました。今後も、栃木に人々の心に残る橋ができればと思います。<br />
次は、日頃よりお世話になっている東京コンサルタンツの大野一成様へバトンを繋ぎます。</p>
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		<title>橋の価値を再認識</title>
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		<pubDate>Sun, 21 Jun 2026 11:19:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kyoryoshim]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[橋歴書]]></category>

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		<description><![CDATA[株式会社巴コーポレーション 橋梁技術部技術グループ長・計画グループ長 西川宇市郎 私の出身地である長 <a class="mh-excerpt-more" href="http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e6%a9%8b%e3%81%ae%e4%be%a1%e5%80%a4%e3%82%92%e5%86%8d%e8%aa%8d%e8%ad%98/" title="橋の価値を再認識">...</a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-full wp-image-4284" src="http://www.kyoryoshimbun.co.jp/wordpress/wp-content/uploads/2026/06/uichiroNshikawa.jpg" alt="西川　宇市郎" width="200" height="250" />株式会社巴コーポレーション<br />
橋梁技術部技術グループ長・計画グループ長<br />
西川宇市郎</p>
<p>私の出身地である長崎県には多くの大規模橋梁があり、大きな造船所も身近な存在で、巨大な構造物を日常的に目にする環境でした。中学生の頃、当時建設が進んでいた明石海峡大橋のドキュメンタリー番組を見て、巨大な橋がミリ単位の精度で建設されていることを知って驚いたのを覚えています。<br />
大きなものづくりに携わる仕事に魅力を感じ、工業高校、大学へと進学し、平成１５年に巴コーポレーションに入社しました。初めの一年半は鋼橋の架設現場で勤務しました。右も左も分からず苦労しましたが、現場での経験から、作業を安全かつ工程通りに進めるためには事前準備が重要であることを学びました。当時上司からよく言われた「段取り八割」という言葉を覚えています。<br />
現場勤務の後は橋梁技術部へ異動しました。現場で実物を見ていた経験が図面を理解したり、橋に作用する力の流れをイメージする助けになりました。<br />
特に印象深いプロジェクトを３つ挙げると、１つ目は、斜角４５度、曲率Ｒ‖８０メートルという厳しい線形の鋼床版橋での検討です。ずれた配置となっている縦・横の鋼床版現場溶接線の収縮による変形量を格子解析で算出して、桁製作キャンバーに反映しました。この検討を通して、頭の中でイメージした挙動と解析結果が一致する構造解析の面白さを知りました。<br />
２つ目は、パイプトラス構造の歩道橋である「黎明小橋」です。高いデザイン性を実現するために高精度な製作・架設が必要であったため、作業員の方々とも議論しながら、製作方法の細かな検討や構造詳細の改善に取り組みました。ものづくりは製作・架設現場の苦労で成り立っていることを再認識しました。<br />
そして３つ目は、とりわけ印象深い、栃木県足利市の渡良瀬川に架かる「中橋」の移設工事です。１９３６年完成の３連ブレースドリブタイドアーチ橋を、解体することなく大型クレーンで１３メートル下流側へ移設し、歩行者・自転車専用側道橋として再生させるというプロジェクトでした。９０年前のリベット構造の橋体を安全かつ効率的に移設するため、吊点の選定や吊金具の構造設計に頭を悩ませました。移設当日に巨大な橋体が高々と吊り上げられ、無事に移設できた瞬間は感動的でした。多くの住民の方々も見学に来られ、地域のシンボルとなる橋の価値を再認識する機会になりました。この事業において、土木学会よりかけはし賞と田中賞（作品部門）を受賞し、一技術者として携われたことを、大変光栄に思います。<br />
社外活動としては日本橋梁建設協会や鋼橋技術研究会に参加させていただいています。大学の先生方や他社の方々との交流で広い見識を得られるだけでなく、日々の業務へのモチベーションを高める格好の機会となっています。<br />
最近は、橋は交通インフラとしてだけでなく、地域の文化や人々の思い出にも残る大切な資産だと感じるようになりました。中橋移設の見学者の中から将来の橋梁技術者が誕生することに思いを馳せつつ、これまでの経験を活かし、橋の建設を通して社会に貢献していきたいと考えています。<br />
次回は、中橋移設事業で大変お世話になりました、富貴沢建設コンサルタンツの髙橋昌宏様にバトンをお渡しします。</p>
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		<title>街に新しい物語を</title>
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		<pubDate>Wed, 10 Jun 2026 23:05:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kyoryoshim]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[橋歴書]]></category>

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		<description><![CDATA[株式会社ホシノアーキテクツ 代表取締役 星野　裕明 私は、街スケールの高層建築から住宅、広場のような <a class="mh-excerpt-more" href="http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e8%a1%97%e3%81%ab%e6%96%b0%e3%81%97%e3%81%84%e7%89%a9%e8%aa%9e%e3%82%92/" title="街に新しい物語を">...</a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-full wp-image-4262" src="http://www.kyoryoshimbun.co.jp/wordpress/wp-content/uploads/2026/06/hiroakiHoshino.jpg" alt="星野　裕明" width="200" height="248" />株式会社ホシノアーキテクツ<br />
代表取締役<br />
星野　裕明</p>
<p>私は、街スケールの高層建築から住宅、広場のようなランドスケープ、テーマパーク、住居のインテリアに至るまで、幅広いスケールのデザインに携わってきた。そうした多様な設計活動の中で、幸運にも橋のデザインに取り組む機会を得た。２０２４年３月に開通した、東京湾岸エリアの勝どきと晴海をつなぐ人道橋「黎明小橋」である。<br />
橋という存在を強く意識するようになった背景には、これまで出会ってきたさまざまな橋の記憶がある。早稲田大学で建築を学び、大学院で意匠設計を深めた後に移り住んだロンドンでは、ヨーロッパの橋がもつ豊かな意味に強く惹かれた。<br />
たとえば、ロンドンの観光名所でもあるタワーブリッジ。その美しい造形だけでなく、左右のゴシック様式の主塔を結ぶ上部空間には博物館機能が組み込まれ、貸切イベントなどにも活用されている。橋が単なる交通インフラではなく、人々が滞在し、体験を共有する「建築」となり得ることを示す象徴的な存在だった。<br />
また、パリのポン・デ・ザールでは、かつて無数の南京錠が欄干を埋め尽くしていた光景が印象に残っている。現在では安全上の理由から撤去されているが、人々が橋に願いや記憶を託し、街に新たな物語を重ねていく。その姿は、橋が都市のランドマークとして、人と街との関係を豊かに育む装置であることを教えてくれた。<br />
さらに、ロンドンのミレニアムブリッジ。ノーマン・フォスターが手がけたこの橋は、歴史的なランドマークであるセントポール大聖堂と、現代の文化拠点であるテート・モダンを結ぶ。異なる時代を接続しながら、歩くことで都市を新たに体験させるその設計は、橋そのものが都市を読み替える視点になり得ることを示していた。<br />
こうした橋との出会いを通して私が強く感じたのは、橋とは「つなぐ」ためだけの構造物ではなく、人と場所、時間と記憶を結び、新たな風景を生み出す存在だということである。<br />
「黎明小橋」のデザインでは、その思想を東京の水辺に重ね合わせた。穏やかな水面に広がる波のように、橋全体に柔らかな曲線を与え、連続する白い部材を水上に浮かぶように配置することで、軽やかで繊細なウェーブを表現している。水面に映り込む橋の姿は、実体と反射が重なり合い、幾重にも波が広がっていくような印象をつくり出す。<br />
また、三次元的に変化するその形態は、見るだけでなく、渡ることでその動きを身体的に感じられるよう意図している。橋を歩くこと自体が、小さな体験となるようなデザインである。<br />
夜には、照明が季節や曜日に応じてゆっくりと色を変えながら、橋に異なる表情を与える。上下で異なるリズムを持つ光のグラデーションが重なり合い、その瞬間ごとに異なる色彩の組み合わせを生み出す。日々この橋を目にする人々にとって、そのわずかな変化が、新しい街の時間の流れを感じる小さな楽しみになればと考えた。<br />
橋は、場所をつなぐだけではない。人の記憶をつなぎ、街に新しい物語を生み出していく。<br />
「黎明小橋」が、この湾岸の風景の中で、そうした存在として育っていくことを願っている。<br />
次は、「黎明小橋」のトラス製造・架設で協力いただいた西川宇市郎氏にバトンを渡したいと思う。</p>
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		<title>私の岐路と橋梁設計</title>
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		<pubDate>Sun, 31 May 2026 15:01:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kyoryoshim]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[橋歴書]]></category>

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		<description><![CDATA[株式会社綜合技術コンサルタント 東京支社構造Ⅰ部 技術部長 俵谷　保男 世界遺産吉野山へ至る鉄路を支 <a class="mh-excerpt-more" href="http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e7%a7%81%e3%81%ae%e5%b2%90%e8%b7%af%e3%81%a8%e6%a9%8b%e6%a2%81%e8%a8%ad%e8%a8%88/" title="私の岐路と橋梁設計">...</a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-full wp-image-4237" src="http://www.kyoryoshimbun.co.jp/wordpress/wp-content/uploads/2026/05/yasuoTawaratani.jpg" alt="俵谷　保男" width="200" height="250" />株式会社綜合技術コンサルタント<br />
東京支社構造Ⅰ部 技術部長<br />
俵谷　保男</p>
<p>世界遺産吉野山へ至る鉄路を支える近鉄吉野川橋梁（上路プラットトラス橋：土木遺産）は、幼少期に強烈な印象を刻んだ橋梁です。両親の出身がこの地であり、父の運転する車の中から見た橋の姿は、今も強く心に残っています。時が流れ、大学進学を機に大阪工業大学工学部土木工学科へ入学しました。<br />
当時は、構造工学の岡村宏一先生、堀川都志雄先生、橋梁工学の栗田章光先生、コンクリート工学の小林和夫先生、井上晋先生（現学長）の指導を受けました。できることなら、もう一度講義を受けてみたい先生方です。<br />
人生最初の岐路は、栗田先生の橋梁工学研究室に所属したことです。研究室では大学院進学者が私一人のため、テーマは「合成柱」限定でした。実は、橋梁研でダイナミックなトラス橋のような研究を想像していたことから、地面から突き出る一本柱の研究は、当初地味に感じました。<br />
一方で当時、博士課程の大山理先生（現・大阪工大教授）の二重合成連続箱桁橋の研究は、いかにも「橋梁」という印象で羨ましく眺めていた記憶があります。<br />
さて、合成柱の研究では、学部の講義ではなかった全塑性や弾塑性理論を学び、さらに阪神・淡路大震災後という時代背景の中で、先輩から引き継いだ地震時保有水平耐力法のＦＯＲＴＲＡＮプログラムを用いた解析に取り組みました。実はこの経験が、社会人になってからの下部工・耐震設計での考え方に大いに役立つことになります。<br />
博士前期課程の修了後、平成１２年に綜合技術コンサルタントに入社し、東京支社配属が大きな岐路でした。当時圏央道設計業務が活況を呈していた背景からの配属だったのでしょう。東京は初めての地でしたが、今年をもって人生で最も過ごした地となります。<br />
こうして迎えた１年目から、２３基の下部工設計を担当することになりました。学生時代に学んだ地震時保有水平耐力法を駆使して――そんな思いは現実の前に早々に打ち砕かれます。<br />
下部工設計は、柱だけでなく、フーチングや基礎、さらには土質分野まで含めた総合的な検討と設計の積み重ねであることを上司から教えられ、勉強のやり直しでした。その最初の設計が、現在のさがみ縦貫道・茅ヶ崎ＪＣＴです。これがその後のジャンクション「岐路」設計に関わるきっかけとなるのですが、１０年以上を経て橋梁全体の設計も担当するようになりました。<br />
山形県の日沿道の高架橋設計では、橋台周辺の軟弱地盤に関する検討を重ねたことが強く印象に残っています。さらに施工計画検討などの業務も担当することになり、千葉圏央道や、桶川ジャンクション周辺の施工検討、首都高下の国道３５７号東京湾岸道路・本牧ジャンクションの施工検討も経験しました。そして、圏央道（横浜環状南線）栄ＪＣＴでは、管理技術者として橋梁設計業務を担当し、現在も施工検討業務等に従事しています。業務以外では、（前号の）今川先生からの紹介のとおり、日独橋梁シンポジウムへの参加や、土木学会構造工学委員会で皆様にお世話になりました。<br />
次のバトンは、これも岐路で出会った共通の友人つながりで、東京・勝どき「黎明小橋」のデザインをされたホシノアーキテクツ代表取締役・星野裕明さんにお願いしたいと思います。</p>
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		<title>あの日の橋が拓く道</title>
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		<pubDate>Mon, 11 May 2026 07:15:26 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kyoryoshim]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[橋歴書]]></category>

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		<description><![CDATA[大阪工業大学 工学部 都市デザイン工学科准教授 今川　雄亮 大学受験を控え、何を学びたいか悩んでいた <a class="mh-excerpt-more" href="http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e3%81%82%e3%81%ae%e6%97%a5%e3%81%ae%e6%a9%8b%e3%81%8c%e6%8b%93%e3%81%8f%e9%81%93/" title="あの日の橋が拓く道">...</a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-full wp-image-4245" src="http://www.kyoryoshimbun.co.jp/wordpress/wp-content/uploads/2026/06/yusukeImagawa.jpg" alt="今川　雄亮" width="200" height="250" />大阪工業大学 工学部<br />
都市デザイン工学科准教授<br />
今川　雄亮</p>
<p>大学受験を控え、何を学びたいか悩んでいたとき、小学生の頃に家族旅行で訪れた開通直後の瀬戸大橋をふと思い出し、「橋について学びたい」と考えたことを覚えています。橋は土木工学科で学べると知り、都会への憧れもあって大阪工業大学に入学しました。何となく選んだこの道でしたが、恩師・栗田章光先生との出会いにより、構造工学や橋梁工学への関心が明確になりました。特に、先生が専門とされた複合構造は、鋼とコンクリートの短所を補い長所を活かすことで、合理的で自由度の高い構造を実現できる点に魅力を感じ、導かれるように先生の研究室を志望しました。研究室に所属した２０００年代は、高速道路を中心に鋼少数主桁橋や波形鋼板ウェブＰＣ橋などの複合構造が本格的に実用化された時代で、ゼミ旅行で訪れた建設現場の見学は貴重な経験となりました。<br />
大学院では「鋼・コンクリート合成桁橋の耐火性能に関する研究」に取り組みました。車両事故や失火による火災を受けた橋梁の安全性評価を目的に、加熱時および加熱冷却後の頭付きスタッドの力学特性に着目した実験を行いました。着任間もない大山理先生にもご指導いただき、何とか博士論文を完成させましたが、このとき将来ご一緒に働くことになるとは想像もしていませんでした。<br />
博士課程を修了した２００９年、「橋をつくる仕事」から「橋を守る仕事」への関心も高まり、フジエンジニアリング（現・ＮＥＸＣＯ西日本イノベーションズ）に就職しました。入社後まもなく担当した業務は、鋼床版の疲労損傷に関する調査でした。数センチ単位でタイヤの通過位置を変えながら、トラフリブに生じるひずみや変形を詳細に計測しました。上司や同僚の協力を得て、調査計画の立案から計測装置の製作、データ整理まで一貫して取り組みました。当時の社長・杦本正信氏から学んだ「自ら考え、自らの手で実行する」という姿勢は、現在の教育理念となっています。<br />
２０１７年、縁あって母校の大阪工業大学に着任しました。慣れてきた頃にコロナ禍も重なり、あっという間に５年が過ぎた２０２２年、学内の海外研修制度を利用してポーランドのヴロツワフ工科大学に半年間留学する機会をいただきました。複合構造を専門とするローレンツ先生の研究チームのもと、欧州で開発された新形式の合成桁について学びました。現在も交流を続けながら、日本への適用を目指した共同研究を進めています。<br />
また、土木学会の小委員会をきっかけに、ものつくり大学の大垣賀津雄先生や関西大学の石川敏之先生らと「弾性合成桁設計の構築」に関する共同研究にも取り組んでいます。合成桁橋の床版取替えにプレキャストＰＣ床版を適用する際、スタッドの配置が制約される条件下で、スタッドを減らしても適切な合成効果を確保する設計法の確立を目指しています。<br />
まだ橋梁人生の折り返し地点にありますが、多くの方々との出会いに支えられてきました。これまでの出会いに感謝するとともに、これからの出会いも大切にして、この道を拓いていきたいと思います。<br />
次は、日独橋梁シンポジウムでお世話になっている綜合技術コンサルタントの俵谷保男先輩にバトンをつなぎます。</p>
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		<title>国鉄から建設省（国土交通省）へ</title>
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		<pubDate>Fri, 01 May 2026 04:04:49 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kyoryoshim]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[橋歴書]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.kyoryoshimbun.co.jp/?p=4231</guid>
		<description><![CDATA[瀧上工業株式会社 橋梁インフラ本部 技術統括部大阪支店 技術部長 先本　勉 岡山県北の城下町、津山に <a class="mh-excerpt-more" href="http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e5%9b%bd%e9%89%84%e3%81%8b%e3%82%89%e5%bb%ba%e8%a8%ad%e7%9c%81%ef%bc%88%e5%9b%bd%e5%9c%9f%e4%ba%a4%e9%80%9a%e7%9c%81%ef%bc%89%e3%81%b8/" title="国鉄から建設省（国土交通省）へ">...</a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-full wp-image-4228" src="http://www.kyoryoshimbun.co.jp/wordpress/wp-content/uploads/2026/05/tsutomuSakimoto.jpg" alt="先本　勉" width="200" height="250" />瀧上工業株式会社<br />
橋梁インフラ本部 技術統括部大阪支店 技術部長<br />
先本　勉</p>
<p>岡山県北の城下町、津山に生まれ、多くの学科の中から、土木科を選んだのが土木人生の始まりでした。当時の田中角栄「列島改造論」に影響を受けたのかもしれません。就職は、父が国鉄職員だったこともあり、昭和４８年４月国鉄大阪工事局でした。昭和５３年東海道本線野洲川橋梁の架け替え工事では、中央径間は全国初の鋼直結（枕木が無い）３径間連続トラス橋、右岸、左岸の騒音緩衝部はスルー桁形式のＰＣ桁で横締めに試験的アンボンド材を使用した記憶があります。<br />
その後、東京第三工事局に転勤になり、東北新幹線の建設に携わり赤羽高架橋を担当し、国鉄構造物設計事務所の先輩と千葉県の橋梁製作工場に、材料検査～原寸検査～製品検査～仮組検査に向ったことが、鋼橋との付き合いの始まりでした。<br />
昭和６２年の国鉄改革により、建設省（現国土交通省）近畿地方建設局に入局しました。入局後一番印象に残っているのは、平成５～８年に関わった「車両の大型化に伴う２５ｔ対応」と「阪神淡路大震災」に関連する業務です。２５ｔ対応では、設計輪荷重が８ｔ→１０ｔに変わることにより、全ての橋梁床版の耐荷力が不足することになるとの疑問はありましたが、死活荷重比による照査手法や実応力測定を実施するなどの手法が示され、管内橋梁の対応の中では、当時の松井繁之大阪大学教授を中心に「床版上面増厚工法のマニュアル」を作成、全国に発信した時は大きな反響がありました。<br />
平成７年１月阪神淡路大震災では、被災した浜手バイパス他３５橋等、約１０００億円の災害復旧費申請書と復旧工事に携わり、徹夜の連続でしたが、耐震補強に係わる「復旧仕様」の作成に協力頂いた当時の関係者には感謝しています。その後は京奈和自動車道や第二京阪道路に携わり、第二京阪道路では高度技術提案型総合評価落札方式、デザインビルド方式により、一括製造・架設する「Ｕ型リフティング架設工法」、「セグメント後方組立方式スパンバイスパン架設工法」を採用したことは省力化・効率化、品質や工期の面で優位であったと考えます。退職前には、各府県の「メンテナンス会議」、産・学・官連携「新都市社会融合創造研究会」のプロジェクト立ち上げ、「橋梁ドクター」の担当者として、学識経験者や業界の方々との出会いは私にとって大きな財産となっています。<br />
その後、（一社）近畿建設協会に再就職、（一財）災害科学研究所社会基盤維持管理研究会に所属し、市町村支援のために「道路管理者のための中小規模橋梁の維持管理ハンドブック」「市町村が管理する橋梁の維持管理ハンドブック」の執筆者として参画できたことは、技術者として大変光栄でした。<br />
現在は瀧上工業で、鋼橋に関わっています。私の橋梁技術の原点は「現場を診て」「現場とふれ合って」「考えて」「聴く」であったと思っています。また、プロジェクトを進めるにあたっては、発注者、受注者で立場が違うなか、一体感を持って同じ目的に向かって行くことが仕事のやりがいに繋がり、完成時の感動も一入でありました。<br />
次回は、研究会などでお世話になっている今川雄亮大阪工業大学准教授にバトンをお渡ししたいと思います。</p>
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		<title>造る時代から、守る時代へ</title>
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		<pubDate>Mon, 20 Apr 2026 15:01:04 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kyoryoshim]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[橋歴書]]></category>

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		<description><![CDATA[株式会社富士技建 技術本部設計部 部長 水内　將司 私が橋梁技術者を志したのは、高速道路網の整備が進 <a class="mh-excerpt-more" href="http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e9%80%a0%e3%82%8b%e6%99%82%e4%bb%a3%e3%81%8b%e3%82%89%e3%80%81%e5%ae%88%e3%82%8b%e6%99%82%e4%bb%a3%e3%81%b8/" title="造る時代から、守る時代へ">...</a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-full wp-image-4217" src="http://www.kyoryoshimbun.co.jp/wordpress/wp-content/uploads/2026/04/masashiMizuuchi.jpg" alt="水内　將司" width="200" height="250" />株式会社富士技建<br />
技術本部設計部 部長<br />
水内　將司</p>
<p>私が橋梁技術者を志したのは、高速道路網の整備が進み、橋梁が社会の骨格として存在感を増していた時代でした。構造物としての橋の力強さに惹かれ、大阪工業大学土木工学科（夜間部）へ進学。昼間は学科の補助員として授業や学科運営を手伝いながら、先生方や大学院の先輩方から実務に近い経験と知識を得ました。夜間の土木系大学では、アルバイトしながら学ぶ者や実家の建設業を手伝う者、建設省や道路公団の職員まで幅広い仲間と共に学び、そこで過ごした日々が今の自分の大きな力となっています。<br />
卒業後は大阪の鉄鋼メーカーに入社、希望していた橋梁設計部門に配属され、阪神高速や首都高速の大規模案件に携わり、構造安全性と施工性を両立する設計に取り組みました。<br />
忘れられないのは、阪神淡路大震災です。本四連絡橋の陸上部門を担当していた際、仮組が終わり出荷直前だった桁が被災。震災後に目にした阪神高速３号神戸線の橋脚倒壊、深江地区で横倒しになった桁、崩れ落ちた橋脚の光景は、構造物の脆さと技術者としての責任の重さを痛感する出来事でした。<br />
さらに、勤めていた会社の経営が悪化、自己破産に至りました。将来に不安を抱えていた中、大学時代の恩師である故栗田章光大阪工業大学名誉教授の紹介で現在の会社に再就職しました。創業者の藤森哲氏が掲げた「造る時代は終わり、これからは守る時代だ」という言葉に強く共感したことが、入社を決めた理由です。維持管理への真摯な姿勢と現場技術を大切にする文化、補修の先駆けとしての実績に魅力を感じ、将来は自分の経験を活かして貢献していきたいと感じました。<br />
現在は、橋梁の維持管理・防食技術に携わり、特に桁端部の腐食対策として、既設橋を対象にＡｌ―Ｍｇ金属溶射の設計段階での技術支援を行っています。腐食、疲労亀裂、支承損傷といった多様な劣化や緊急対応に向き合いながら、材料・施工・計測の各分野と連携し、現場ごとに最適な判断と調整を重ねています。通常の設計とは異なった視点と即応力が求められる維持管理の現場は技術者としての視野を広げてもらいました。<br />
その中で、橋梁の耐久性に大きく関わる「水」の問題に本格的に向き合うべく、産官学が連携する近畿地方整備局の「新都市社会技術融合創造研究会」に参画しました。大阪大学の奈良敬名誉教授のもとで発足した「橋梁の耐久性向上に資する排水構造と排水設備に関する技術開発研究会」では、腐食損傷を「腐食環境」「腐食負荷」「腐食耐性」の３軸で定量評価する「腐食マトリックス」を提案、橋梁ごとの腐食リスクを２７通りに分類し、維持管理の合理化と見える化を目指しました。<br />
また、腐食負荷の実態をより深く理解するため、供用前の鋼箱桁橋を使った実橋散水実験にも挑戦しました。実際の橋面アスファルトに水を流し、桁端部、排水装置にどれだけ水が届くかを目で見て、人力で量を測る、そんな地道な作業の積み重ねが、腐食の本質に迫る手がかりになりました。図面や理論だけでは見えない〝水の動き〟を肌で感じたこの経験は、自分にとっても大きな学びでした。<br />
こうした取り組みを通じて、現場の実情と制度設計の両面を学ぶ機会を得られたことは、今も大きな財産です。研究会で発注者の視点から、多くのご助言を頂いた元近畿地方整備局　道路保全企画官の先本勉氏に、ここでバトンを引き継がせていただきます。<br />
これからも〝守る技術〟を少しずつでも磨きながら、次の世代とともに、橋の未来を支えていけたらと思っています。</p>
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		<title>生涯エンジニア</title>
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		<pubDate>Sat, 11 Apr 2026 10:50:28 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kyoryoshim]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[橋歴書]]></category>

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		<description><![CDATA[株式会社奥村組 土木本部 土木技術部長 守屋　裕兄 私は１９９５年に大阪大学大学院を修了し、奥村組に <a class="mh-excerpt-more" href="http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e7%94%9f%e6%b6%af%e3%82%a8%e3%83%b3%e3%82%b8%e3%83%8b%e3%82%a2/" title="生涯エンジニア">...</a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-full wp-image-4205" src="http://www.kyoryoshimbun.co.jp/wordpress/wp-content/uploads/2026/04/hiroshigeMoriya.jpg" alt="守屋　裕兄" width="200" height="250" />株式会社奥村組<br />
土木本部 土木技術部長<br />
守屋　裕兄</p>
<p>私は１９９５年に大阪大学大学院を修了し、奥村組に入社しました。大学時代は松井繁之先生のご指導のもと、先生が考案された「床版クラック法」を用いて通行車両の軸重を計測する研究に取り組みました。床版下面に発生したひび割れに複数のπゲージを貼り付け、その開閉量を計測し、あらかじめ重量を測定しておいた１０tダンプトラックを走行させたときのデータと比較して軸重を算定する方法です。さまざまな路線の橋梁で２４時間計測を行ったことが、今でも懐かしく思い出されます。<br />
入社後の約１０年間は、主に現場での施工管理業務に従事しました。その間、橋梁関連の仕事に携わる機会が多くありました。新入社員として最初に配属されたのは高速道路の延伸工事で、切土・盛土が主体でしたが、付け替え河川の橋梁や跨道橋の新設にも取り組みました。<br />
次に担当したのが、京阪電鉄の２営業線が立体交差する前島跨線橋（Ｌ‖６５メートル）における、騒音対策を目的とした橋桁の改築工事です。ここでは、初めて監理技術者として現場に携わりました。既設の鋼製箱桁（馬桁）をＰＣ桁へ改築する工事で、既設桁を２分割して撤去し、それと同時に工事桁（６径間）へ一旦置き換えた後、工事桁からＰＣ桁に架け替えるという工程でした。ＰＣ受桁上にＰＣ縦桁を載せる特殊な構造であったことに加え、鉄道営業線直上での夜間停電作業・破線作業となるため、綿密な施工手順の策定や工程管理、電気・軌道工事との作業調整が求められました。結果として、騒音はピーク値で１７ｄＢ、等価騒音レベルで４ｄＢと大幅に低減することができ、地元住民の皆様から大変喜んでいただいたことを鮮明に覚えています。<br />
続いて担当したのは、阪神電鉄青木駅の東灘連続立体交差化工事です。副所長として、仮線方式による高架事業に従事しました。槽状桁の工事桁や、本設としてのＨ鋼埋め込み桁、セグメント方式によるＰＣ桁の架設を行いました。営業線のすぐ近くで、旅客が常に乗降する駅舎を高架化する工事でもあったため、旅客動線を確保しながら、安全最優先で工事を進めました。この現場には６年間在籍しましたが、工事の途中で異動となり、竣工の瞬間を見届けられなかったことは、今でも少し心残りです。<br />
異動先の土木技術部では、現在まで設計、施工支援、営業支援、技術開発など、幅広い業務に関わり、近年は学協会活動に参加する機会も増えました。災害科学研究所の研究会には、恩師である松井繁之先生も参加されており、先生は今も変わらず床版への情熱を持ち続け、精力的に活躍されています。また、床版取替工事で用いられるＰＣ床版の継手構造に関する技術開発では、試験方法や疲労耐久性の評価方法について、先生から丁寧なご指導をいただきました。そのお姿に触れるたびに、身が引き締まる思いがします。私自身も先生をはじめ諸先輩方の姿勢を見習い、「生涯エンジ二ア」を目指して、一土木技術者として微力ながら社会に貢献していきたいと考えています。<br />
次回は、災害科学研究所の社会基盤維持管理研究会で長年大変お世話になっている、富士技建の水内將司様にバトンをお渡しします。</p>
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		<item>
		<title>橋に、人に導かれて</title>
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		<pubDate>Tue, 31 Mar 2026 15:01:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kyoryoshim]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[橋歴書]]></category>

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		<description><![CDATA[株式会社ＣＯＲＥ技術研究所 取締役副社長東京支店長 西　弘 私は１９９１年に近畿大学を卒業しました。 <a class="mh-excerpt-more" href="http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e6%a9%8b%e3%81%ab%e3%80%81%e4%ba%ba%e3%81%ab%e5%b0%8e%e3%81%8b%e3%82%8c%e3%81%a6/" title="橋に、人に導かれて">...</a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-full wp-image-4193" src="http://www.kyoryoshimbun.co.jp/wordpress/wp-content/uploads/2026/03/hiroshiNishi.jpg" alt="西　弘" width="200" height="250" />株式会社ＣＯＲＥ技術研究所<br />
取締役副社長東京支店長<br />
西　弘</p>
<p>私は１９９１年に近畿大学を卒業しました。就職活動の時期には、当時、宮司であった父の勧めもあり、神職の資格を取得するため國學院大學の神職養成講習会に夏休みと春休みを利用して参加していました。就職活動をしていない私の様子を見かねて、研究室の宮脇秀年先生が富士ピー・エスを紹介してくださいました。こうして私は同社に入社し、橋梁の世界に導かれることになりました。<br />
入社後は大阪支店工務部に配属され、四国縦断自動車道の合床版工法による連続ＰＣ合成桁橋の工事に従事しました。新入社員であった私にとって、主桁架設や鉄筋・型枠の組立、コンクリート打設といった作業の一つ一つが大きな達成感につながるものでした。<br />
また主桁架設前には、略式で日本酒と塩で現場を清め作業の安全を祈願する場面に立ち会うこともあり、土木と信仰・文化が古くから結びついていることを実感しました。<br />
１９９５年には阪神淡路大震災の復旧工事に携わることとなりました。阪神高速道路の１９９６年９月３０日の開通に向け、現場では昼夜を問わず復旧工事が続き、私自身もほぼ不眠不休で工事に従事しました。当時は非常に厳しい日々でしたが、社会基盤を支える橋梁の重要性を身をもって感じた経験であったと思います。<br />
その後、設計部に配属となり、現所属であるＣＯＲＥ技術研究所代表取締役社長の真鍋英規（当時主任）の部下となりました。今年でちょうど部下歴３０年になります。２００３年には、後に架け替え工事が行われた阪神高速１４号松原線喜連瓜破橋のたわみ回復補強の設計に携わりました。同橋は１９８５年頃から中央ヒンジ部の垂れ下がりが問題となり、架け替えに至るまで多くの方々が関わってきました。その一端に私も関われたことを大変うれしく思っています。<br />
２００８年３月に富士ピー・エスを退社し、その後５年ほど調査会社に勤務したのち、２０１３年７月に橋梁や構造物の維持管理に関する調査設計を行うＣＯＲＥ技術研究所を設立しました。現在は取締役副社長兼東京支店長を務めています。設立当初は１０名程度の会社でしたが、多くの方々のご支援とご協力のおかげで順調に発展を続けることができています。<br />
２０１７年には土木学会複合構造委員会防水排水小委員会に参加する機会をいただきました。そのご縁から岩手大学の大西弘志教授のご指導のもと、ＰＣ橋の維持管理に関する研究に取り組み学位を取得することができました。これも多くの皆様のご指導とご支援の賜物であり、深く感謝しております。<br />
これまで多くの方々に導かれ橋梁の世界を歩んできました。そのご恩を次の世代へ恩送りすることが私の役割だと感じています。今後も新しい技術や時代の動向を捉えながら、社会基盤を支える橋梁の維持管理に貢献し、持続的に発展する会社を目指していきたいと考えています。<br />
次回は、社会基盤維持管理研究会でお世話になっている奥村組の守屋裕兄様にバトンをお渡しします。</p>
]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>泥臭い経験が財産</title>
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		<pubDate>Fri, 20 Mar 2026 15:01:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[kyoryoshim]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[橋歴書]]></category>

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		<description><![CDATA[極東興和株式会社 大阪支店 技術部技術課長 西村　一紀 私は１９９５年に大阪工業大学を卒業し、極東工 <a class="mh-excerpt-more" href="http://www.kyoryoshimbun.co.jp/%e6%b3%a5%e8%87%ad%e3%81%84%e7%b5%8c%e9%a8%93%e3%81%8c%e8%b2%a1%e7%94%a3/" title="泥臭い経験が財産">...</a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-full wp-image-4182" src="http://www.kyoryoshimbun.co.jp/wordpress/wp-content/uploads/2026/03/kazunoriNishimura.jpg" alt="西村　一紀" width="200" height="250" />極東興和株式会社<br />
大阪支店 技術部技術課長<br />
西村　一紀</p>
<p>私は１９９５年に大阪工業大学を卒業し、極東工業（現・極東興和）に入社しました。神戸に住む私にとって、その年は兵庫県南部地震直後の混乱の中にありました。壊滅的な被害を受けた橋梁などの光景、自宅の半壊、親戚の安否確認に奔走した記憶は、大学の卒業や社会人としての第一歩以上に強烈な記憶として残っています。<br />
入社後は広島本社でＰＣ橋設計の基礎を学び、翌年からは３年間、神戸の土木コンサルタントへ出向しました。震災復興が進む街を肌で感じながら、橋梁以外の土木構造物設計に幅広く関わったこの時期は、人脈形成に加え、技術者としての多角的な土台を築く貴重な財産となりました。<br />
４年目に自社へ復帰してからは、大阪支店を拠点に四国や関西のＰＣ橋の設計・施工に従事しました。特に印象深いのは、２００９年から１４年にかけて携わった比較的難易度の高い大型工事の施工です。観音寺高架橋では、自走式門型クレーンを使用した３２径間のＰＣコンポ橋の架設を、続く今戸高架橋では、仮固定構造や仮支柱を駆使した６径間連続ＰＣ箱桁橋の特殊な張出し架設を経験しました。設計・施工の両面から課題に挑み続けた日々は、現在の私の技術的バックボーンとなっています。<br />
今戸高架橋の工期終盤、台風第１２号による記録的な大雨（紀伊半島大水害）が発生し、地域唯一の幹線道路であった国道１６８号の折立橋が流出するという災害に遭遇しました。<br />
孤立した地域の交通を一刻も早く回復させるため、私は今戸高架橋で撤去中だった仮桟橋の資材や重機を、急遽、折立橋の復旧へと転用する計画・設計を立案しました。河川内に盛土を構築して資材を運搬し、現場の状況に合わせて仮橋として再構築するという、まさに時間との戦いでした。<br />
現場職員と一丸となり、２４時間連続施工で交通復旧に挑んだ経験は、土木技術者としての使命を再確認させられる、私のキャリアにおいて決して忘れられない出来事となりました。<br />
１４年以降は内勤を主軸とし、新設ＰＣ橋の設計や設計照査だけでなく、外ケーブル補強や床版取替、グラウト再注入といった修繕・更新工事にも注力しています。<br />
並行して０５年頃からは、ＰＣ建協の委員会活動を通じて、京都大学の宮川豊章先生をはじめとする多くの学識者や、志を同じくする多くの同業者仲間に出会いました。中でもＡＳＲ対策検討委員会では、大型ＰＣ試験体を製作してＡＳＲ劣化を再現する実験的研究に参画し、これに続くＩＣＡＡＲ２００８（アルカリ骨材反応国際会議）での発表、ｆｉｂ２０１５への参加など、多角的な視点での交流ができたことは、今も私の継続的な学びの源泉です。<br />
入社から３０年。振り返れば、コンサルタントへの出向や災害復旧工事、ＰＣ建協での委員会活動など「泥臭い経験」の連続でしたが、それこそが今の私を支える財産です。これからも人との繋がりを大切に、一歩ずつ技術力の研鑽に努め、社会基盤を支える一躍を担っていきたいと考えています。<br />
次は、ＰＣ建協での長年のご縁があり、現在は点検・診断業務でお世話になっているＣＯＲＥ技術研究所の西弘様にバトンをお渡しします。</p>
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