国鉄から建設省(国土交通省)へ

先本 勉瀧上工業株式会社
橋梁インフラ本部 技術統括部大阪支店 技術部長
先本 勉

岡山県北の城下町、津山に生まれ、多くの学科の中から、土木科を選んだのが土木人生の始まりでした。当時の田中角栄「列島改造論」に影響を受けたのかもしれません。就職は、父が国鉄職員だったこともあり、昭和48年4月国鉄大阪工事局でした。昭和53年東海道本線野洲川橋梁の架け替え工事では、中央径間は全国初の鋼直結(枕木が無い)3径間連続トラス橋、右岸、左岸の騒音緩衝部はスルー桁形式のPC桁で横締めに試験的アンボンド材を使用した記憶があります。
その後、東京第三工事局に転勤になり、東北新幹線の建設に携わり赤羽高架橋を担当し、国鉄構造物設計事務所の先輩と千葉県の橋梁製作工場に、材料検査~原寸検査~製品検査~仮組検査に向ったことが、鋼橋との付き合いの始まりでした。
昭和62年の国鉄改革により、建設省(現国土交通省)近畿地方建設局に入局しました。入局後一番印象に残っているのは、平成5~8年に関わった「車両の大型化に伴う25t対応」と「阪神淡路大震災」に関連する業務です。25t対応では、設計輪荷重が8t→10tに変わることにより、全ての橋梁床版の耐荷力が不足することになるとの疑問はありましたが、死活荷重比による照査手法や実応力測定を実施するなどの手法が示され、管内橋梁の対応の中では、当時の松井繁之大阪大学教授を中心に「床版上面増厚工法のマニュアル」を作成、全国に発信した時は大きな反響がありました。
平成7年1月阪神淡路大震災では、被災した浜手バイパス他35橋等、約1000億円の災害復旧費申請書と復旧工事に携わり、徹夜の連続でしたが、耐震補強に係わる「復旧仕様」の作成に協力頂いた当時の関係者には感謝しています。その後は京奈和自動車道や第二京阪道路に携わり、第二京阪道路では高度技術提案型総合評価落札方式、デザインビルド方式により、一括製造・架設する「U型リフティング架設工法」、「セグメント後方組立方式スパンバイスパン架設工法」を採用したことは省力化・効率化、品質や工期の面で優位であったと考えます。退職前には、各府県の「メンテナンス会議」、産・学・官連携「新都市社会融合創造研究会」のプロジェクト立ち上げ、「橋梁ドクター」の担当者として、学識経験者や業界の方々との出会いは私にとって大きな財産となっています。
その後、(一社)近畿建設協会に再就職、(一財)災害科学研究所社会基盤維持管理研究会に所属し、市町村支援のために「道路管理者のための中小規模橋梁の維持管理ハンドブック」「市町村が管理する橋梁の維持管理ハンドブック」の執筆者として参画できたことは、技術者として大変光栄でした。
現在は瀧上工業で、鋼橋に関わっています。私の橋梁技術の原点は「現場を診て」「現場とふれ合って」「考えて」「聴く」であったと思っています。また、プロジェクトを進めるにあたっては、発注者、受注者で立場が違うなか、一体感を持って同じ目的に向かって行くことが仕事のやりがいに繋がり、完成時の感動も一入でありました。
次回は、研究会などでお世話になっている今川雄亮大阪工業大学准教授にバトンをお渡ししたいと思います。

愛知製鋼