先人の技術を「地図に残す仕事」

永田 佳文首都高速道路株式会社
技術コンサルティング部
永田 佳文

モノを創ることが好きな学生時代を過ごし、1989年に社会人となり最初の配属が横浜ベイブリッジ、鶴見つばさ橋という横浜で著名な長大橋の設計部署でした。最初の橋梁との出会いは9径間連続鋼床版箱桁橋、連続地中壁による壁式基礎など少し特殊な構造設計でした。その設計と同時に長大橋の耐風設計も担当しました。  ギャロッピング、ガスト応答など大学時代には全く無縁であった専門用語に躊躇しながらもあらゆる文献を読みあさり基本を学びました。桁断面や主塔構造を決定するために部分模型、全橋模型を作成し、風洞実験により確認するのですが、将来構想として鶴見つばさ橋が並列橋になった際、下流側の斜張橋において低風速でフラッターが発生する現象への対応に特に苦慮しました。桁高、桁幅を変更すると振動諸元へ大きく影響があるため大学の先生方のご意見を参考に風洞実験を繰り返し、振動を抑制する橋梁構造を決定することができました。  その後、既設橋梁の維持管理を担当する事務所へ配属となりました。担当者2名で56件もの工事を受持ち、損傷個所の確認や補修・補強工事の施工管理、安全管理、検査など毎日のように現場へ行っていました。〝橋は生きている〟と最初に感じたのもこの時でした。現場では自ら非破壊検査機器による点検、塗装塗替え時の素地調整やハケ塗り、ブレーカーを用いたハツリ、樹脂の攪拌などあらゆる工種を体感しました。機器や環境条件により品質の差異が生じ、不具合の発生に繋がることを学び、この時の現場での見る、聞く、嗅ぐ、触るといった五感の経験が今の私のインフラ維持管理の人生の礎になっています。  2008年に5号池袋線でタンクローリーが横転・炎上するという今までに経験したことのない規模の事故が発生しました。この事故による高速道路の通行止めや一般道路渋滞の影響での経済的損失を考えるとインフラ構造物がいかに生活基盤を支えているのかを痛感させられた事象でした。これを機に〝インフラを守る〟という意志がさらに強くなり、インフラ構造物を適切に維持管理するために、従来の技術思想にとらわれず、存在しない技術は自らが開発し、実績は自ら作るという意識でやってきました。例えば、部分的な塗替え塗装「スポットリフレ工法」、鋼橋の省工程塗装材料「ブラッシャブルS」や国立競技場にも採用された緩み止めナット「スマートハイパーロードナット」などです。  長年、既設橋梁の維持管理に携わってきていますが、〝設計と同時に維持管理は始まっている〟という考えで、必ず自らの目で現場を確認し、将来の点検や補修が容易にできる構造設計を心掛けています。この先、橋梁は環境の変化により、設計者の目的と使用者の目的が異なっていくことも考えられますが、適切なフィードバックを行い、確実な維持管理を行っていくことで延命化でき、その時代に応じたその橋梁の価値に繋がっていくと思っています。  これまでの維持管理に従事した経験から様々な業種の方々と橋梁を守るネットワークが広がってきています。そんな仲間と休日に北見、横浜、周南、天草など全国各地の既設橋梁を訪れ、先人たちが残した知恵を学ぶという旅が今の楽しみでもあります。この知恵を現在にフィードバックし、橋梁を壊さずに延命化していく『地図に残す仕事』を今後も仲間たちと取り組みながら、最新の技術や知識も常に求め続けていきたいと思います。次はいつも刺激を頂いている日本ピーエスの福島邦治さんにバトンをつなぎます。

愛知製鋼