地震に負けない橋梁を

小西 英明エム・エム ブリッジ株式会社
生産・技術部 保全・エンジニアリンググループ長
小西 英明

大阪市で生まれ育った私は1980年代半ばの中学生だった頃に阪神高速湾岸線の港大橋の圧倒的な大きさに魅了され、橋梁という構造物に興味を持ちました。 その影響もあり、大学は地元の大阪大学工学部土木工学科に進学しました。 大学四年に進級する際には希望がかなって西村宣男教授の構造研究室に配属され、大学院修士課程を含めた3年にわたりご指導いただきました。 研究室では有限要素法の汎用プログラムは使用せず、研究で使用するプログラムは全て自作するという方針の下、私もFORTRAN77を駆使してプログラミングに励みました。 研究室に所属した三年間で、構造解析、解析プログラムのアルゴリズムを徹底的に叩き込まれ、後の実務の大いに役立つ経験を積むことができました。 現在は設計の自動化が進んでおり、ブラックボックス的に解を得ることができますが、その評価を行う際には、理論や解析のアルゴリズムを理解していることが設計結果の理解を深めるための助けになっていると感じています。 1995年1月17日未明、大学四年で卒業研究に追われていた時、研究室で兵庫県南部地震を被災しました。 地震が少なかった大阪に生まれ育った私が初めて地震の恐ろしさを体感した日であり、テレビを点ければ、連日被災した神戸の街や分断された道路が報道されていました。 大きな構造物への憧れから橋梁を志しましたが、この震災の経験により、橋梁の持つ社会的な役割についても考えるようになった気がします。 大学院の修士課程修了後は、三菱重工業に入社し、広島製作所の橋梁設計課に配属されました。 以来24年にわたり鋼橋の設計、製作、架設計画、現地工事に携わってきました。 橋梁技術者として数多くの橋梁を手掛けてきましたが、中でも強く印象に残っているのが阪神高速道路公団(現・阪神高速道路株式会社)の西宮港大橋耐震補強工事です。 橋長252m、上部工重量約1万1000トンのバスケットハンドル型ニールセンローゼ桁である西宮港大橋の耐震補強を行うものでした。 この工事は私が初めて取り組んだ大型保全工事で、設計管理技術者の立場で参画しました。 西宮港大橋は、兵庫県南部地震を被災した橋梁であり、震災時にはピボット支承の損傷、地盤の液状化に起因する橋脚の傾斜により隣接する単純鋼床版桁が落橋するなど大きな被害を受けた橋梁の一つです。 この工事では得意とする構造解析や鋼構造の詳細設計だけではなく、地盤の非線形性を考慮したシナリオ地震波を作成するなど、技術の幅を拡げてくれる貴重な経験をすることができました。 解析モデルにも細部設計にも工夫を凝らし、地震に負けない橋に生まれ変わらせるための設計ができたと思っています。 日本は地震国であり、今後30年における南海トラフ地震(マグニチュード8~9程度)の発生確率は70~80%、首都直下地震(マグニチュード7程度)は70%とも言われています。 これらの大規模地震の影響を受ける地域で現在建設中の橋梁は被災する可能性が高いということになります。 橋梁技術者の役割は、単に橋を架けるということではなく、日常でも緊急時でも安心して利用できる橋梁を建設し、国民生活を守ることだということを肝に銘じ、仕事を通じて社会貢献していきたいと考えています。 次回は、多くの工事で一緒に仕事をさせていただいている、宮地エンジニアリングの吉元大介様にバトンを渡したいと思います。

愛知製鋼