心に焔を灯して

笠鳥 隆株式会社北都鉄工
生産本部鉄構工事部鉄構工事課
笠鳥 隆

私は現在、地元である石川県の北都鉄工で働いています。今思えば橋との最初の出会いは、石川工業高等専門学校の四年生の時に行ったPC橋の現場の体験実習が最初でした。その時に鉄の橋はもっと大きな橋が出来ると教えていただいたのが、鋼橋工事の道に長年携わるきっかけとなったと思います。 入社後まもなく建設中のレインボーブリッジに新入社員研修の一環として訪れた時には、広大な敷地の中にところ狭しと沢山の現場事務所が立ち並び、まるで街のようになっているのに驚き、そしてまだ工事中の橋に昇った時には、ただそのスケールの大きさに驚きました。入社して二年間近くは先輩方々の元で色々と教えていただきました。「次の事、その次の事と先々のことをしっかり考えて行動するんだ」と教えていただきましたが、未だにちゃんと出来ているなんて自信はありません。 最初に一人で任されたのは、入社して三年目。山梨県で単純鋼床版鈑桁の現場で既設の橋の横に新しい橋を架ける工事でした。鋼重は40トン程度でしたが既設の橋の上に橋桁を縦送りしながら順次繋いでいき、全部繋いだ後に120トンの油圧クレーンでの相吊り架設を行う現場でした。縦送りも、相吊りも初めてだったことに加えて地元の方からの苦情への対応に翻弄されながらも無事に完成させることができました。 その後、東京都のモノレール軌条桁の架設工事、十年目には静岡県の大井川鉄道上の第二東名高速道路の現場を経験しました。十三年目に担当した山形県の酒田高架橋は八径間連続鈑桁でした。その年は奥羽本線の特急脱線事故があった時でトラッククレーンベント工法と一般的な架設工法でしたが、暴風雪により度々作業の中断を余儀なくされ、無事に工事が終わった今となっては思い出深い現場となっています。十五年目には名古屋環状2号線の工事では名古屋鉄道本線上を鋼重約一千トンの橋桁の送り出し架設と国道一号線上の大型搬送車による一括架設という貴重な経験をさせていただきました。 二十二年目に担当した瀬田川管理通路橋は、南郷洗堰のすぐ上流に位置し、瀬田川に合流する千丈川上に架かる橋長約百三十㍍の歩道橋です。陸上から架設位置まで大型車両の進入が出来ないため、台船を使っての架設となりました。琵琶湖の湖岸で台船にクレーンを載せ、唐橋などのいくつかの橋を通過し架設位置まで瀬田川を下る必要がありました。現地調査の結果、台船上のクレーン頂部が瀬田川を横断している橋桁に当たる可能性があったので台船のバラストタンクに水を注入し、台船の吃水を大きくする事で橋桁の下を航行出来ました。また、架設時にはクレーンの反力により台船の傾斜が大きくなりすぎるため、橋脚の間隔が狭い橋をくぐり終えた後に台船に4基のポンツーンを繋いで浮力を上げ傾斜を少なくする事が出来ました。 色々と困難はありましたが、発注者である琵琶湖河川事務所の皆様から多くのご指導をいただいて工事を無事に終えることが出来ました。工事期間中には近くを通る人に「完成を楽しみにしています。頑張ってください」と幾度も温かい言葉を掛けて戴きました。その度に皆様に喜んで貰えるような橋を完成させるんだ、という熱い想いが芽生えました。開通式ではそんなことを想い出して何度も目頭が熱くなりました。  今後も携わる一つ一つの橋と真摯に向き合い橋を利用する皆様に喜んでもらえる橋をつくるんだと「心に焔を灯して」頑張っていきたいと思います。次は、佐藤鉄工の加藤高弘様にバトンをお渡しいたします。

愛知製鋼