心の架け橋を守る

西山 芳文富士技研センター株式会社
代表取締役兼保全技術部長
西山 芳文

小学生の頃は、休日は宿題を持って父の会社に行く生活でした。当然宿題は行わないのですが、当時から橋の図面や模型を見ていました。しかしながら、大学までは車などの機械や情報処理に興味を持ち、橋梁への道は全く考えておりませんでした。大学の研究室に入ると、当時では珍しい衛星画像データによる土地利用解析を学び、大変有意義な学生生活を送らせて頂きました。この場をお借りして森正壽先生には感謝申し上げます。 そんな私が「橋梁への道」に進んだのは、大学時代に父の会社でアルバイトしたことや車でのドライブで「関門橋」を幾度と見に行き「九州と本州の人の出会い」、「楽しい旅行」、「生活を豊かにする流通」などをイメージしていたことが潜在的に残っており、社会人初年の頃に、「目に見える大きな物を造り、社会に幅広く役に立ちたい」と強く考えるようになったからでした。今思えば、子供のころから触れてきた橋梁への憧れもあったのかと思います。 そこで、建設コンサルタントへの就職を決意しました。橋梁の勉強をしてこなかった私に橋梁への思いだけでチャレンジさせて頂いた諸先輩方や同僚には、感謝の念が堪えません。そこから橋梁の勉強が始まり、家の近くの河川橋の下に1日中もぐり、スケッチなどして設計している橋のイメージを作りました。 橋の仕事をして5年目に、一級河川を渡る橋長約180メートルの3径間PC箱桁橋の設計から施工計画までを経験させて頂きました。先輩技術者からのご指導やPCメーカー様への出向で学んだことが生かされたことで、何とか業務を完了させ、大切な報告書を吹雪の中での10時間におよぶ運転で納品したことを今も覚えております。その後に、架設中の現場を見て感動もひとしおでした。 その後は、新宿南口のバスタ新宿に接続する橋梁の架け替え実施設計および工事対応をさせて頂きました。本設計は、重交通を切廻しながら上部工を3分割して架け替えるもので、住民説明から工事調整まで、関係工事が進んでいる中で施工計画し、設計を進める必要がありました。ここでは、橋梁技術者として、粘り強く考え抜くことを学ばせて頂きました。この難工事の関係者の方々や設計チームには大変感謝しております。 東日本大震災の直後に東京から三陸海岸まで車で移動したときには、震災後の交通安全性確保や交通網確保による生活の保持のために、道路や橋梁が重大な役割を果たしている事を実感しました。私の中で、橋梁を「心の架け橋として守りたい」という気持ちが、潜在的な想いと相まって形になった瞬間でした。実業務としては、被災した橋梁の調査をさせて頂くことになり、震源から約300キロ南に離れていた橋梁の状態から、地震力や地殻変動による影響の大きさを知りました。 現在では、道路橋や横断歩道橋の点検・調査やその結果を踏まえた補修・補強設計に携わっております。橋を守る設計には、失敗を含めた豊富な現場経験が必要であること、課題解決には現場に立ち戻ること、人の命を守る判断をするなど、倫理や理念が必要であることを諸先輩方や発注技術者様から学び、感覚や行動の質を向上させる機会を頂いております。これからも、心の架け橋を守れるよう「ひたむきに努力」し、若手技術者の活躍をサポートできるよう研鑽していく所存です。 次は、豊富な現場経験を基にご教授くださる協和エクシオ 土木事業本部 小椋公之部長様にバトンをお渡しいたします。

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