物つくりをしたい!

井隼 俊也オリエンタル白石株式会社
技術本部技術部長
井隼 俊也

〝物つくりに携わりたい〟と、高等学校での進路相談時に、担任の先生に相談したのが、現職に関わる原点でした。しかし、大学に進学後は、橋梁に興味を示すことなく、怠惰な学生生活を過ごしていました。  私にとって、橋に興味をもったきっかけは、現在も在籍している弊社での新人研修で、押出工法の現場に配属された時、作業されている方の人数の多さ、設備等を見て、始めて、橋作りに興味を持ちました。  入社後、PC専業者として設計や工事を経験していく中、入社3年目に、斜角45度未満のプレテンションT桁橋の設計を担当し、この時初めて、発注者との協議にて、自らの色々な文献調査により導いた考え方を、納得して頂く難しさに直面しました。当時は、夢の中でも、仕事の事を考えていた記憶があります。  その後、当時の日本道路公団や阪神高速道路公団等の詳細設計に、設計担当者として携わり、これらの業務では、規準や要領に則った新設橋梁の設計業務を担当しました。  30歳手前に、広幅員かつ著しい幅員変化を有する張出架設工法の橋梁の、詳細設計ならびに施工管理を担当しました。この時期、昼間は現場での施工管理業務、夕刻に事務所に戻り施工管理業務での書類作成、その後詳細設計業務と、帰宅が連日、24時を回るような生活を送っていました。この工事では、自ら担当した設計図面の至らなさを、自ら目の当たりにし、発注者や同僚、また労務の方々から数々の苦情を頂き、その対応に追われる日々で、非常に〝しんどい〟思いをしました。今では、完成時の〝達成感〟とともに、この〝しんどさ〟も、良い思い出です。数年前に、同現場の同窓会があり、当時の所長らが集い、懐かしい面々らとの再会を果たし、久しぶりに〝下っ端〟として、楽しい時間を、共有することが出来ました。  その後、数現場での施工管理業務を経て、技術部に異動し、新設橋梁やモノレール軌道桁の詳細設計を担当しておりましたが、40歳手前で、新設橋梁以外の設計担当となり、PCタンクや土中構造物、橋梁の補修補強設計等の多種多様な業務や、設計事例が少なく設計方法が確立されていない構造物の設計を経験することができ、今から思うと、この当時の経験が、業務に対する柔軟性を育んだものと思います。  また同時期に、プレストレストコンクリート建設業協会の一員として、アルカリ骨材反応に関する研究業務にも参画させて頂いたことは、私にとって、礎石の一つとなりました。  40歳半ばに、新設橋梁の設計業務と平行して、当時は事例が少なかった鋼橋の床版取替の詳細設計を担当して、高耐久化を図るため、各種実験を踏まえた材料選定ならびに施工方法、構造ディティールなどの検討などを行い、現在、数多く実施されている大規模更新事業での床版取替工事での礎石を築いたものと自負しております。  物(橋)つくりを始めて、社内外問わず多数の方々に、ご指導(時に叱責)を頂きながら、30数年の年月が経過しました。私にとっての〝物(橋)つくり〟も終盤に差し掛かり、集大成となる構造物の計画・設計・施工に携わるとともに、後進の育成にも注力したい。と、考えております。最後に、この4月に、大阪から東京への異動が内示され、期待と不安が入り組んだ感情ですが、東京でも、私らしく仕事したいと考えています。次は、モノレールPC軌道桁で、長年、お付合い頂いています大阪高速鉄道株式会社の森川佳則さんに、バトンをお渡しします。

愛知製鋼