神戸に世界に誇れる橋を

篠原 聖二阪神高速道路株式会社
建設事業本部神戸建設部技術統括課課長代理
篠原 聖二

私の橋梁人生は瀬戸大橋とともに始まります。1978年、瀬戸大橋の建設が開始された年に香川県で生まれ、そのちょうど10年後の小学4年になる年に橋が完成しました。母親に瀬戸大橋架橋記念博覧会に何度も連れて行ってもらい、子供ながらに瀬戸大橋の壮大さに魅了されました。瀬戸大橋をはじめ長大橋を車で通る時の「ワクワク感」は今でも変わっていません。 高校1年の時に阪神・淡路大震災が発生しました。阪神高速3号神戸線が横倒しになった光景は、現実に起こったものとは思えないほどの衝撃を受けました。この震災以降、この国の耐震設計に関する研究が一気に進みましたが、大学で土木工学科に進学した私も、その後、導かれるように耐震工学の道に進むことになります。 就職については湾岸線の延伸計画があり、そこで瀬戸大橋のような長大橋の建設に携われるかもしれないと思い、阪神高速道路公団(当時)を選びました。2008年に2人目の子供が生まれるタイミングでマンションを買ったのですが、将来、子供達に自らの仕事を自宅から見せたいと思い、バルコニーから神戸港を一望できる部屋を購入しました。翌年の2009年に延伸計画は大阪湾岸道路西伸部として正式に都市計画決定され、いよいよ事業化に向けて進みだすと思った矢先、2011年に東日本大震災が発生し、事業化時期が不透明になりました。 東日本大震災の翌年から3年間は、茨城県つくば市にある土木研究所(当時)に主任研究員として出向し、被災した橋梁の原因分析や研究成果に基づく道路橋示方書、設計便覧等の改定に従事しました。この間、全国の様々な機関の研究者や技術者の方と仕事をさせていただく中で、貴重な人的ネットワークを構築することができました。 2015年に土木研究所から阪神高速道路に復職した後は、東日本大震災や2016年の熊本地震で問題が顕在化したゴム支承の耐久性評価に関する研究や支承部のじん性を向上させるDCストッパーの開発に注力し、また阪神高速道路全線を仮想空間上にモデル化し、地震や交通流のシミュレーションにより様々な意思決定ができることを目指すサイバーインフラマネジメント構想を推進しました。 現在は、神戸建設部に所属し入社動機でもあった大阪湾岸道路西伸部の建設事業を担当しています。ポートアイランドと六甲アイランド間の海上部には4本主塔から成る連続斜張橋が、ポートアイランドと和田岬間には1本主塔の斜張橋が計画されており、いずれも完成すれば世界最大規模となる予定です。 私自身はこの橋梁の完成はもちろん、計画から建設に至る過程の段階が特に重要と考えています。これだけの規模の橋梁の建設計画にあたっては様々な課題に直面することが想定されます。課題の解決に向けて産官学が連携し、検討や議論を徹底的に重ねることが、若手技術者への技術継承や優れた研究者の育成につながっていくと信じています。今後、このプロジェクトが日本の橋梁技術の発展につながるような仕掛けを作っていくことが自分の役割だと考えています。 次は土木研究所出向時代に苦楽を共にした本州四国連絡高速道路長大橋技術センターの金田崇男サブリーダーにバトンパスします。

愛知製鋼