緻密に計画、大胆に施工

山内 誉史

エム・エム ブリッジ株式会社
生産・技術部設計グループ 主席チーム統括
山内 誉史さん

1999年4月に前身の三菱重工業に入社、橋梁設計課に配属。3年目から本格的に橋梁設計に従事する。記憶に残る仕事として、首都高速の横浜北線を、横羽線と大黒線に接続する生麦JCTの拡張工事を挙げる。重交通の横羽線を規制しながら、施工する難易度の高い工区の設計を担当、現地に1年ほど常駐した。「JCTの拡張工事は、既設部との接続が多い上、図面と現場状況にくい違いが生じていることが多々あります。また、工事が進捗し、既設部の撤去が進まなければ計測できないような箇所もあります。このため、現地に常駐し、取り合い部の調査、計測を行い、設計に反映しながら施工を進めていきました」。施工は2013~16年にかけて実施、特に横羽線上の187メートルの鋼桁架設は、搬入に移動多軸台車を使い、大揚程ジャッキによって桁を持ち上げ、さらに横移動用の多軸台車を桁下に挿入して同様のジャッキを用いて、架設するという緻密な作業を計画し、それも一夜間の規制で実施しなければならなかった。架設当日は設計者として立ち会う。多軸台車上の桁のバランスにも注意を要すため、なかなか作業は進まない。「現場で設計者が出来ることはわずか。何度も、このままでは朝までに完了しないのではと不安に駆られた」という。現場に漂う不穏な空気とは裏腹に、冷静に作業を指揮する自社の監理技術者を見て、「とにかく現場を信頼しよう」と腹を括る。東の空が白みはじめた頃に架設は完了、その場にいた総員で清掃を行い、規制を解除した。 長大橋の架設技術で常に業界をリードする同社、社名変更など会社の有り様は変わっても、常にインフラ整備で社会貢献を続けている。「今は新しく作ることだけがインフラ整備の役割ではない。新設で積み重ねてきた知識や経験を活かし、老朽化したインフラを安価でスピーディーに補修・補強する業務にも携わりたい」と語る。愛媛県出身。46才。 (川村淳一)

愛知製鋼