能登島大橋に感動して

加藤 高弘佐藤鉄工株式会社
技術・開発室技術チーム
加藤 高弘

小学生の頃、家族旅行で石川県能登島に遊びに行ったときのことです。和倉温泉地区と能登島を結ぶ「能登島大橋有料道路(当時、現在は無料開放)」を目の当たりにしたとき、巨大な橋に心を奪われました。車を停めてもらって橋の一番高いところまで歩いたのをよく覚えています。 高校生になって進路を考えるときに橋梁を意識し、土木への進学を選択したのはこの感動を覚えていたからだったと思います。大学では橋梁研究室に所属し、桁のたわみや座屈について学びました。大学は関西でしたが、地元の富山県で橋梁をやっている会社に入りたいと思い、2001年4月、佐藤鉄工に入社しました。 最初は橋梁を設計する部署に配属されました。3年目を迎える頃、初めて主担当として日本道路公団(当時)の新設橋梁上部工の設計に携わることになり、桁高やフランジ幅の決定からPC床版の設計に四苦八苦したこともありました。設計時代は新設橋梁以外にもトラス橋の補強工事や支承取替工事などを担当しました。 設計担当として現場に赴くことも増え、現場での架設もやってみたいと思っていた7年目、現場担当の機会が巡ってきました。富士山が見える場所でNEXCОの送り出し架設の工事でした。現場では、覚えることが沢山あり大変でしたが、上司や職人さんに色々教わりながら一緒に仕事を進めることが楽しかったと記憶しています。また、草刈りからPC鋼線の張力管理まで色んなことをやらなければならないことを学びました。 初めて現場従事した工事が完成したときの達成感は何物にも代え難いものでした。10年目には、正式に現場担当部署に配属され、最初に任された現場はアーチダムのキャットウォーク取替工事でした。それまで橋梁にしか携わってこなかった私は、そもそも「キャットウォークって何?」から始まって、足場はどのように組むか、測量は何が必要か、取替方法をどうするかなど、新しい分野での施工方法を考える大変さや面白さについて少しずつわかってきた頃でした。 現場従事してから、横取り架設や供用下での支承取替など色々やってきました。首都高の現場ではジャンクション合流部の改修で、路面高さを線形から構成するといった特殊(?)なこともやりました。線形シミュレーションを何回も繰り返して数カ月かかり大変な思いをしたと記憶しています。自分の経歴を見返したとき、特筆すべきは鋼製橋脚工事で、担当工事で4橋脚、応援も含めると9橋脚の工事に携わっていました。橋脚工事に関していえば、経験値はなかなかのものだと自負しています。 入社してから20年目を迎え、ICTやBIM/CIMの言葉が聞こえはじめた頃、設計10年、現場10年の経験を活かすことができる仕事をやってみたいと思いました。上司に相談したところ、床版取替工法の研究など、BIM/CIMに限らず、いろんなことに挑戦でき、やりがいのある仕事ができる技術開発部門に配属となりました。現在、10橋脚目の鋼製橋脚工事の現場担当として奮闘中ですが、BIM/CIM活用工事で、この経験も今後の技術開発に活かしていきたい所存です。 以上が、私の橋歴書です。思い返すと色んな記憶が蘇ってきました。バトンを渡してくれた北都鉄工の笠鳥隆様には、良い機会を頂き感謝しています。 次回は、取替用高性能鋳鉄床版の共同研究でお世話になっております、日之出水道機器株式会社の村山稔様にバトンを渡したいと思います。

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