株式会社安部日鋼工業
大阪支店技術工務部長
三田 健大
高校時代は、〝ものづくり〟がしたいという考えはありましたが、〝何を造りたい〟かまでは考えもなく、大学に入ってから考えようと土木工学科に入学しました。入学後もしばらくは〝何を造りたい〟と明確な答えはありませんでしたが、転機が訪れたのは大学3年生のときでした。友人の紹介で安部工業所(現・安部日鋼工業)にてアルバイトをすることになりました。
当時の図面作成はCADではなく、ドラフターを用いた手書きで、一般図や配筋図、PC鋼材配置図などを描く中で橋梁と出会いました。最初は、線1本の持つ意味も理解しないまま、言われるがままに作図していましたが、慣れて余裕が出てくると、「この線は何を意味しているのか」「この1本の線は何を示しているのか」「図面に記されているPC鋼材とはどのようなものなのか」といったことに興味を持つようになりました。さらに、図面だけでなく構造計算書を見る機会も増え、次第に橋梁設計に惹かれていきました。
そのような経緯から、就職先としてはコンサルタント会社も検討しましたが、やはり〝ものづくり〟がしたいという考えがあったため、設計も施工も両方できる現在の会社に就職しました。
入社後は工事課に配属されました。最初の現場はポストテンション方式5径間連続PC中空床版橋でしたが、着任時には本体工がすでに完了しており、主な業務は橋面の測量や墨出しでした。それでも、日々、壁高欄などの構造物が出来上がっていく様子を見る中で、大きな達成感を得ることができました。
次の現場は、PC単純T桁橋(現地製作)で、規模は小さいものの、着工前から関わることができたため、非常に印象に残っています。単純桁ではありましたが、A1とA2で斜角が異なり、桁長もすべて異なっていたため、鉄筋配置やPC鋼材配置も桁ごとに異なり、1本ずつ墨出しをやり直した記憶があります。今思えば、線1本の重要性を肌で感じた現場であり、最初の現場で培った測量・墨出しの経験を存分に発揮できた現場だったと感じています。架設完了後には床版横締めのPC鋼材配置が全桁で異なっていたため、横締めシースが真っすぐ通っているかが気になり、1本1本目視で確認したことを今でもよく覚えています。
約8年間の工事経験を経て、念願であった設計課に転属しました。初めて担当した詳細設計は第二京阪道路で、一般的な中空床版橋と箱桁橋でしたが、一から設計を行い、施工にも関わることができたため、工事とはまた異なる達成感を味わったことをよく覚えています。その後、新名神高速道路、中国横断自動車道、米子自動車道の設計に携わり、現在は大和北道路の設計に関わり、現役で設計業務を行っています。
設計課に配属された翌年からは、PC建協の活動にも参加し、関西支部の保全補修部会や技術部会にも所属しています。中でもASR検討委員会には特に思い入れがあり、ASRの国際会議であるICAARにも参加しました。そこで交流した方々から多くのことを学ばせていただき、それらの経験が現在の自分を支える大きな糧となっています。
次回は、PC建協で困ったときに力になってくださる、極東興和の西村一紀さんにバトンをつなぎます。
