Shallwe猫パンチ

今井 努国土交通省中国地方整備局宇部港湾・空港整備事務所
企画調整課港湾保安調査官
今井 努

私が初めて土木を意識したのは、中学3年生の時です。家から一番近く、就職率も良いという理由でたまたま選んだ高専(土木系学科)でしたが、多感な時期に阪神・淡路大震災を経験し、明石海峡大橋の開通を目の当たりにしたことが、仕事の対象として橋梁を選択した決め手になったと振り返ります。 私の橋歴は、2003年に三菱重工業に入社したことから始まりました。設計部門に配属され、2年目から運良く国内最大支間長を誇るアーチ橋、広島空港大橋(土木学会田中賞)の設計JVに加えていただき、アーチ閉合まで現場で携わることができました。 「架けた」とは言えず、あくまで「携われた」ですが、技術者として幸せ者だと思います。 その後は主に詳細設計付工事の設計担当として多くの経験を積ませて頂き、阪神高速道路の淀川左岸線(1期)海老江ジャンクション工事では、設計JVの管理技術者として当時前例の無かった鋼管集成橋脚(土木学会技術開発賞)を社会実装する事ができました。 そんな思い入れの強い淀川左岸線(1期)の開通が目前に迫った頃、やむを得ない事情で周南市役所に転職することになり、10年間の民間技術者生活を終えることとなりました。 奇しくも、笹子トンネル天井板落下事故が発生した翌年で社会資本メンテナンス元年と呼ばれる2013年のことでした。 転職後は、最初の1年目こそ橋梁と無縁の部署でしたが、2年目から道路課に配属された以降の7年間は良くも悪くも異動と縁がありませんでした。 9年目となる今年度から現所属へ出向していますが、これまでの公務員生活のほとんどで橋梁維持管理と向き合ってきたことになります。 維持管理の現場で目にしたのは地方の橋の悲惨な状況です。  お金が無くて抜本的な対策を講じられないのは当然ですが、対策の必要性を技術的に判断できる専門家も少なければモチベーションも低く当初は義務化された点検さえしていれば良いという雰囲気でした。 できない理由をさがして言い訳せず、与えられた条件の中で何ができるか?と自問自答した結果、2015年8月4日(橋の日)から始めたのが産官学民の有志で取り組む市民レベルの協働メンテナンス活動です。 この活動で、第1回インフラメンテナンス大賞国土交通大臣賞を受賞することができましたが、特別な活動をしているわけではありません。日常生活の延長線上で、いつでも・誰でも・簡単に無理せず取り組める簡易な清掃や点検に子供をターゲットにした土木体験を加えて「楽しみながら」活動することで、メンテナンスすることによる橋の延命化と土木を知ってもらうことによる担い手候補の裾野拡大を目指しています。 この活動で橋が何年長持ちするとか土木技術者が何人誕生するとは言えませんが、ある橋が寿命を全うした時、ある若者が土木技術者を目指した時、その数年・数人分はこの活動の成果だと胸を張って言えるとは考えています。 更に、この活動は「産官学」のメンバーと活動を通して土木ファンになってくれた「民(一般市民)」との双方向コミュニケーションの場となっており、メンバー自身の職へのモチベーションを維持・向上させる活動になっていることも確信しています。 あなたも騙されたと思って近所の橋で仲間と共に橋守活動してみませんか?きっと楽しいし、健康増進にもつながります。猫パンチのような小さな活動でも全国で当たり前の活動になれば、きっと全国のインフラが少しずつ良くなります。 Shall we 猫パンチ? 次は学生時代の研究室同期であり、鋼管集成橋脚を受発注者の関係で一緒につくりあげた同志でもある阪神高速道路の篠原聖二さんにバトンを繋ぎます。

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