
京都大学大学院
工学研究科 助教
植村 佳大
私は琵琶湖の畔で、双子の兄として生まれ育ちました。弟は早くから弁護士を志していましたが、私は将来の夢がなく、同じ顔をしているのに人生の計画性はまるで違いました。大学選びも「大きなものを扱う方が面白そう」という、恥ずかしいほど安直な理由で京都大学工学部地球工学科を受験しました。
そして合格発表翌日、東日本大震災が起きました。私は被災していませんが、小学生の時に父を事故で亡くし、身近な人を突然失う現実を知っていました。日々増える死者・行方不明者の数に自然災害の恐ろしさを痛感し、地震防災の研究者になりたいと思うに至りました。ほぼ何も考えず選んだ学科が、結果的にそのやりたいことを学べる場所だったのは、本当に幸運でした。そして4回生時、橋梁耐震の研究に興味を持ち、現在助教を務める構造ダイナミクス研究室を志望しました。
研究室訪問で目にした八木知己先生と高橋良和先生の、オール阪神・巨人ばりの軽妙な掛け合いに「ここなら毎日楽しそうだ」と確信したのも決め手でした。両先生の下、自由に考え、自由に研究に打ち込む日々を送りました。
研究室配属から12年、学生時代の指導教員であり現在の上司である高橋先生には、本当に多くの経験をさせていただきました。高さ5メートル級の大型橋脚模型の載荷実験や、日本初の実大動的免震加力試験機E―アイソレーションの機能実装。大学受験当時の安直な志望理由どおり、大きなものを扱うのは楽しいです。ただ、大きなプロジェクトほど計画通りには進まず、そのたび、先生と知恵を絞っています。その中で、先生の経験に裏打ちされた鋭い洞察や発想の転換からは多くを教わっています。
現在は、林先生からご紹介の通り、カリフォルニア大学サンディエゴ校で在外研究中です。渡米当日、2歳の息子が、わざわざ私の自宅まで見送りに来てくれた双子の弟のことを「パパ」と呼んだハプニングから早1年弱が経ちました。
アメリカ生活は充実していますが、こちらは高速道路の路面はガタガタ、購入直後の車はいきなりパンク、代車も空気圧不足で警告音を上げながら天に召されました。
刺激的な日々の中、日本がいかに優れた技術者に支えられているかを実感します。また、現地の博士課程の学生と議論するたび、高橋研の学生の質の高さを再認識します(調子に乗るので本人らには内緒です)。日本はかつての勢いを失ったと言われますが、「日本の凄さを見くびるなよ」と心の中で呟きながら、今日もガタガタの道路を走り大学に向かっています。
間もなく帰国ですが、最近は実際の橋梁に直接関われるのが地震後の被害調査くらいで、少し寂しさを感じています。同時に、被災した橋を前にするたび、研究者として何をすべきかを考えさせられます。
帰国後は、委員会や共同研究を通じて実際の橋梁に関わる機会を増やし、研究成果をより現場へ届けられる研究者になりたいです。
次の「橋歴書」は、阪神高速先進技術研究所の後藤源太様にお願いしました。実は私が4回生の時に卒業研究として引き継いだのが、後藤さんの修士論文の研究でした。あの時バトンを受け取る側だった私が、今度はバトンをお渡しします。
