「いざ、アメリカ」

大塚 康晴鹿島建設株式会社
鹿島・大成特定建設工事共同企業体新東名高速道路河内川橋工事 監理技術者
大塚 康晴

私の土木屋としての原点は、小学校の卒業文集にありました。そこには「日本とアメリカを橋でつないで、車でアメリカに行く!」と書かれています。 小学生の頃、父親と釣りに出掛けた大黒ふ頭の堤防から、当時まだ建設中だった横浜ベイブリッジの大きさを目の当たりにして、度肝を抜かれました。その後も工事の進捗が気になり何度も大黒ふ頭へ足を運ぶうちに、小学生ならではの自由な発想と無知が相まって、くだんの卒業文集となったわけです。 三つ子の魂百までとはよく言ったもので、大学進学時には迷うことなく土木工学科を受験し、就職活動の際も、とにかく大きな構造物の建設に携わりたいとゼネコンの門を叩きました。 私が就職した頃は、静岡県内の新東名高速道路建設が最盛期を迎えており、タイミング良く新東名高速道路の橋梁工事の設計・施工を担当したことも幸いして、その後も複数の橋梁工事に携わることができました。 そういった経緯もあり、私の橋歴は新東名高速道路関連が多く、内牧高架橋(ストラット付きPC箱桁橋)では、プレキャストセグメントによるスパンバイスパン工法、浜北高架橋(多径間連続鋼コンクリート混合桁橋)では、固定式支保工、トラッククレーン・ベント工法、臼子橋(PC多径間連続波形鋼板ウェブ箱桁橋)では張出し架設工法、そして現在従事している河内川橋(鋼・コンクリート複合バランスドアーチ橋)では、アーチ部のトラス張出し架設工法など、多種多様な橋梁形式、架設工法の経験を積むことができました。 また、その他でも、曲線桁で縦断勾配のある鋼床版連続箱桁橋を、鉄道営業線10本と国道を跨いで送り出し架設を行った横浜北線鉄道交差部工事や、桟橋の設置制限がある湖に、補助桁併用張出し架設工法と後ラーメン工法を併用して水面を使わずにPCラーメン箱桁橋の架設を行ったはまゆう大橋、遠くUAEにて中東初となる鉄道高架橋を40キロ以上にわたって架設したドバイ・メトロプロジェクトなど、アメリカにはまだまだ届かないまでも、海外も含めて数々の大規模橋梁工事に携わることができたのは、やはりあの卒業文集があったればこそだと思います。 ここでは、私がアメリカへの第一歩として海外赴任をした時に、プロジェクトを共にした外国人エンジニアとの交流を通して感じたことに触れたいと思います。日本では、われわれはエンジニアである前に会社という組織の一員であり、会社に守られつつ、その会社のために尽力するという色合いが濃いと思います。しかし、私の知る外国人エンジニアは、会社という組織に縛られることなく、一つのプロジェクトが終われば、自分の実績、実力を武器に更に良い条件で契約できる会社、プロジェクトを探して、世界各地を渡り歩いていました。そんな、自分の腕っぷしひとつで世界を股に掛けて活躍する彼らの姿は大変刺激的であり、私にも、会社員である前に一人のエンジニアであるという矜持とともに、小学生の頃に抱いたものづくりに対する憧憬の念を思い出させてくれました。 日本人アスリートが世界各地で活躍している昨今、これからを担う若い日本人エンジニアの皆様にも是非、機会があれば世界へと活躍の場を広げて頂きたいと思います。そしていつか、私と一緒に車でアメリカへ行きましょう。 今まで携わってきた全ての現場に、乗り越えてきた多くの課題、色々な人たちとの出会い、そして数々の武勇伝があり、本来であればこの機会に少しずつでも紹介したかったのですが、文字数の都合もありますので最後に、今までの現場や設計等でご指導・ご協力を賜り、良くも悪くも私の成長に影響を与えてくださった全ての方々に感謝の意を表し、私の橋歴書を終わりたいと思います。 私のバトンは、東海大学土木工学科の大先輩であり、横浜北線鉄道交差部工事で大変お世話になった、横河ブリッジの佐々木博さんにお繋ぎします。

愛知製鋼