「橋」につないでもらった四半世紀

松藤 洋照国土交通省 関東地方整備局
東京国道事務所 管理第二課
松藤 洋照

1994年に豊田工業高等専門学校を卒業、(当時)建設省土木研究所へ入所し配属された構造研究室にて担当した本四架橋を始めとする長大橋の耐風安定性の研究が私の橋との関係のスタートでした。0・1ミリ単位で製作された繊細な風洞模型を恐る恐る扱いつつ、6年にわたり耐風安定性の向上を目指して試行錯誤しながら研究に取り組みました。ここで培った人脈に当時から現在に至るまで幾度となく助けられることとなります。 2000年に関東地方整備局常総国道事務所へ異動となり、茨城圏央道72キロの半分を占める連続高架橋の予備、詳細設計を担当させてもらいました。研究から設計へ、組織も移ったため転職に近く、仕事も苛烈を極めましたが上司、同僚に恵まれ乗り越えられました。便宜上つけた橋梁名がそのままに供用され安易な命名に反省しつつも嬉しくもありました。茨城圏央道は2017年に全線供用され、帰省の際には感慨に耽りながら車を走らせています。 2004年から勤務した常陸河川国道事務所では初めて維持管理に携わりました。工事の積算に取り組みつつ、実際の施工等を見るために足繁く現場へ伺い経験を積ませてもらいました。 耐震3プロ最盛期の2006年から東京国道事務所の出張所での勤務は、数十本の工事監督に忙殺された日々でした。昭和初頭に架けられた橋梁では竣工図との大幅な相違など予想を超える事態も日常茶飯事で、もう時効ですが年度末に完成検査と夜間立会等が重なり月曜日に出勤し帰宅が金曜日の夜ということもあり、様々な経験から自らの成長を実感できる貴重な職場でした。 2008年から首都国道事務所にて国道357号の新木場立体事業と国道298号の維持管理を担当させてもらい、新木場立体事業では、当時圏央道以外では事例が殆ど無い鋼少数鈑桁の連続高架橋の施工に携わりました。東日本大震災直後には管理する国道298号上の全橋梁を自ら緊急点検したことも思い出深いです。 2012年には関東地方整備局 道路管理課 道路保全企画室へ異動となり橋梁の長寿命化修繕計画と耐震補強計画のとりまとめを担当しました。技術相談の窓口として国総研、土研へ足繁く通い、「なぜ、今、この橋を供用しているのか?」と問われ真っ青になったことも。国総研 橋梁研究室での3ヶ月研修では、定期点検の義務化に伴い始めた直轄診断等の貴重な経験と毎日のレポートに追われる日々でしたが、終えたときの充足感を今後も忘れることはないでしょう。 2015年から東京大学へ出向して、地方自治体における維持管理の高度化、効率化の研究に携わり、特に職員による小規模橋梁直営点検の実証実験での神奈川県小田原市や島根県の皆さんの協力は感謝に堪えません。最新のIT、IoT技術に触れ、これまで係わりのなかった分野の方々との交流に刺激を受け、自分の組織を外から見ることができたのは出向の大きな成果の一つです。  2017年には出向を終えて二度目の東京国道事務所での勤務となり、構造物の保全全般と道路メンテナンス会議の事務局として地方自治体の支援も担当しています。国道357号の鋼床版疲労亀裂への対策、老朽化により痛みが進む歩道橋等の対応、首都直下地震対応の耐震補強など課題は山積みです。定期点検1巡目が終わり、見つけた損傷の補修への取り組みは道路管理者共通の悩みであり、道路メンテナンス会議としても最優先に取り組むべき課題の一つです。 「橋」がつないでくれた方々に助けられ、もうすぐ四半世紀。今後助ける側として次の世代へのバトンタッチを意識しつつ、この橋暦書のバトンを鋼橋の疲労亀裂対策では大変お世話になりました(一財)首都高速道路技術センターの仲野様へつないで締めとさせていただきます。

愛知製鋼