コンクリートに魅せられて

二井谷 教治オリエンタル白石株式会社
技術研究所技術本部 技師長
二井谷 教治

学生時代には、大学ならではのスポーツをと思い漕艇部に入部しました。部活はハードで、シーズン中は旭川の艇庫で雑魚寝の合宿。朝5時から練習して大学へ戻り、授業後はまた艇庫に戻って日暮れまで練習の毎日でした。案の定、肝心の学業には十分に身が入らず、単位だけは何とかの状況でした。 研究室は、実験主体で卒論が書けそうだからという、とても失礼な理由でコンクリートを選びました。研究課題は乾燥収縮とクリープで、ひたすら長さ変化を計りました。地道で時間のかかる実験でしたが、土木学会の予測式の基礎になったことは誇りです。動機は不純でしたがコンクリートに触れる毎日に、その単純なようで奥が深く多様な可能性に魅せられていきました。 恩師の人柄にも感銘を受けて結局大学院へ進み、就職先として打診されたのがオリエンタルコンクリートでした。就職後もコンクリートと関わり続けたいと思っていたので、二つ返事でした。 入社後は主に研究畑を歩んできました。その前半は構造系が主体で、「複合」との関わりが比較的多くありました。最初は、FRPをPC橋の鋼材の代替として適用する研究開発でした。FRPがまだ新材料と呼ばれていた時代です。 建設省総合技術開発プロジェクト(総プロ)では、土木研究所にゼネコンやPC専業社が集い、各種FRPについて様々な基礎実験を行いました。各社でも独自の材料について実用化を進めていました。私は総プロではCFRPを、社内開発ではAFRPを扱いました。一担当者としての参画でしたが、新しい材料に関する規準作りや実装に関われたこと、また、社外の技術者諸氏との交流が貴重な経験となりました。 この経験はFRPウェブPC橋の研究開発にも繋がりました。波形鋼板ウェブPC橋など複合構造が、わが国でも広く採用され始められた頃で、PC箱桁橋のウェブにGFRP板を適用する構造を研究しました。積層板や接合構造の検討をはじめ、実用化に自信が持てるほど本格的に取り組みましたが、FRPを主要部材に使用することへの懸念からか、実現は叶いませんでした。複合構造拡大の流れの中では、鋼トラスウェブPC橋の開発を担当しました。このタイプの橋梁では格点構造が肝要で、当時の新日本製鐵と共同開発を行い、志津見大橋という美しい橋梁として実現されました。 構造系主体だったある日、上司から維持管理系への転換を告げられました。その頃はまだ、維持管理はマイナーなイメージがあり若干の抵抗もありましたが、その分比較的早くからこの分野に取組み始めることができました。 橋梁マネジメントシステム、鋼材腐食モニタリングセンサー、床版取替工法など多くの開発に関わりましたが、一番思い入れがあるのは残存プレストレストの推定手法です。尊敬する恩師のもとで博士課程のテーマとして開発した手法で、学生時代に取り組んだ乾燥収縮とクリープが重要な役割を果たしてくれました。 コンクリートとの出会いの動機は不純でしたが、その魅力にひかれ、長く付き合ってこられたことを幸せに思います。  次は、学会の委員会などでご一緒させていただいております、中日本高速道路の牧田通様にバトンを渡したいと思います。

愛知製鋼