二度大震災を経験して

小川 賢一三井住友建設鉄構エンジニアリング株式会社
建設本部西部工事部 課長
小川 賢一

私は1994年に三井造船鉄構工事へ入社しました。入社当初から現場勤務を希望していましたが、どういう訳か社内で吊り金具の計算やベント構造図を作図する日々が続いていました。 しかし、状況が一変したのは阪神淡路大震災でした。現場経験が全くない私が、被害状況調査班に加わり、現地調査をすることになったのです。今思うと、先輩方について行っただけという記憶ですが、誰もが経験したことがない都市部での直下型地震であり、猫の手も借りたいという状況だったのだと思います。 その調査後、すぐに山陽新幹線武庫川橋梁の復旧工事に派遣されましたが、それはこの地震関連の工事であり、妙な縁を感じざるを得ません。私としては、やっと希望が叶って現場に出してもらえると喜んでいましたが、現実はそんな甘いものではありませんでした。ベント基礎の高さを測れば何度も間違えて、作業員からは幾度となく怒鳴られました。毎日落ち込むことの連続でしたが、何とかベントを立ち上げることができるようになりました。本当に忙しく大変な現場でしたが、関係者全員の努力の結果、GWに無事新幹線が開通した時は、その達成感から思わず涙が出そうになりました。 入社4年目には大阪市の夢洲舞洲大橋に架設部会の一員として、施工計画ではベントの構造計算、現地工事では高力ボルト締付けに関わる管理等を行いました。1万8000トンのダブルアーチ橋で、ベントの最大反力が2600トンもあり、けた違いの規模に驚くばかりで、計算間違いがないか不安で仕方ありませんでした。 また、現地据付けでは、回転ピンを挿入するための計測管理も担当しました。このピンが無事に納まった時、見学されていた観客から自然に拍手が沸き上がり、そのうれしさから天にも昇る気持ちとはこういうことを言うのかと、少し大げさかもしれませんが、そんなことを思いました。 14年目には長崎県の離島をつなぐ伊王島大橋の本土側と離島側のアプローチ橋へ派遣されました。ここでは資機材の輸送に苦労が絶えず、離島へはフェリーを利用しました。また、コンクリート打設には、コンクリート船を使用しました。島内では特殊車両を走行させるために役場にアナウンスして頂き、無事に工事を完成することができましたが、離島が離島でなくなるこの仕事に誇りを感じました。 17年目は埼玉県で幸魂大橋主塔の耐震補強工事に派遣されました。この橋梁は弊社の旧橋であり、先輩たちの思いを感じながらの工事でした。工事完了が3月10日、その翌日に竣工書類を作成していたところ、東日本大震災が発生しました。 人生で2度目の大地震ですが、過去に震災を経験しているので意外に落ちついていたことを覚えています。 すぐに現場へ点検に行きましたが、耐震補強した主塔は無事でした。後日談ですが、主塔は上り線と下り線に1本ずつあり、1本は今回補強したものでしたが、補強していないもう1本はかなり揺れたようで、耐震補強の効果を肌で感じることができました。 現在は、名古屋市内で名二還の春田野第二高架橋他7橋工事に携わっています。施工ヤードが狭く、クレーンの配置に苦労しながら、毎日の作業を行っています。また、この10月1日には、社名が三井住友建設鉄構エンジニアリングに代わりました。今後も社会インフラの強靱化に貢献していきたいと考えています。 次回は本現場でご一緒させていただいている宇部興産機械の谷脇敬一郎さんにバトンを渡したいと思います。

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