人に支えられて30年

諸橋 明三井住友建設株式会社
土木本部次長理事
諸橋 明

大学で土木を勉強したので最前線の仕事ができれば、という簡単な動機で建設会社に入社しました。「橋歴書」に執筆される皆様のような崇高な志があったわけではなく、お恥ずかしい限りです。こんな状況でしたので、橋との出会いは会社に入ってからでした。 1989年に住友建設(現三井住友建設)に入社し、最初の配属が帯広の新十勝大橋という長大PC橋の現場でした。連続構造では当時アジア最大の支間170メートルを有しており、桁高10メートルの柱頭部、背丈ほどある鋼製支承を目の当たりにして、あまりのスケールの大きさに驚愕したのを鮮明に覚えています。協力業者の職人と一緒になって右往左往の毎日でしたが、ワーゲン施工、側径間支保工、中央閉合と半年で一通りの工種を経験でき、橋への一歩を踏み出すことができました。 1992年に本社の設計部に転勤となりました。当社のPC技術はわが国でも先駆者であり、諸先輩には優秀な技術者がたくさんおられました。こうした上司の元で概略設計・詳細設計・施工検討・技術開発などあらゆる業務を担当しました。上司には厳しく指導されましたが、設計は現場・会社の業績、強いては社会に与える影響が大きい重要なものであるが故の厳しさだったと思っています。今日の自分があるのも、厳しい指導の結果だと思っております。 1997年、第二名神高速道路揖斐川橋の現場に配属となりました。旧道路公団発注のエクストラドーズド橋で、複合の斜吊構造、外ケーブル、大断面のプレキャストセグメントといった当時我が国ではまだ確立していない新技術を駆使した長大橋でした。 詳細設計から携わりましたが、設計の上司から多くの指導を受けました。橋のフォーメーションを決める過程、とりわけ主桁断面を決める考え方には熱いものがあり、それまでの私には未知の概念で合理的で柔軟な思考を要することを痛感させられました。 その後、現場に従事して最も気を使ったのがプレキャストセグメントの施工です。大断面のマッチキャスト、接着剤、キャンバー管理と初めてのことばかりでかなり神経を使いました。現場の上司には、プレキャストセグメントの注意点、というか〝恐ろしさ〟をしっかり叩き込まれました。 本工事では同種構造の木曽川橋と合わせて合計11社の技術者が集結し、発注者の旧道路公団の方々と一緒に設計・施工を行いましたが、互いに助け合いながら進めることができました。この交流は今でも続いております。 2001年に本社設計部に戻りました。今度は指導する立場となりましたが、NEXCO発注の第二東名や東九州道全盛の時期で、波形鋼板ウェブ橋をはじめ多くの詳細設計を担当しました。技術の進歩は早く外ケーブル・波形は既に確立されていましたが、波形ウェブ橋を押出架設で行う桂島高架橋は、中でも印象深い橋梁の一つです。設計業務と並行してPC建協やPC工学会といった協会・学会にも参画するようになり、同業他社の多くの技術者と交流を深めることができました。自身の見聞が大きく拡がったと思います。 2016年から道路橋示方書のコンクリート橋小委員会に参加させていただいています。ここでは、国の技術者の方々の〝安全率〟の考え方に大きな刺激を受けました。われわれ施工業者は、作用から応答度合いを把握し、部材の抵抗と比較して安全を担保しますが、規準を作る側の人は更に上流側で安全を担保しなくてはなりません。そのため安全率の設定には強い使命感を持っているように感じます。大いに学ぶべきところです。 橋に携わって30年以上、社内外の多くの人に支えられて今日の私があることを改めて痛感致します。60歳目前の年齢になりましたが、まだまだ技術にこだわり現役でやっていきたいと思っています。 次回は土研に出向されていた時代からお世話になり、現在も新名神の詳細設計・施工業務などでご指導いただいております、NEXCO西日本関西支社の和田構造技術課長にバトンをお渡ししたいと思います。よろしくお願い致します。

愛知製鋼