多くの人に支えられ25年

鈴木 森晶

愛知工業大学
工学部土木工学科 教授
鈴木 森晶

1995年の兵庫県南部地震が発生した時は宇佐美勉先生(当時)の研究室でドクターコースの3年が終わる頃でした。名古屋大学で博士の学位を受けたのが1997年3月。 名古屋大学の学部生時代は加藤雅史先生(当時)の下で、歩道橋を中心として振動計測や減衰対策などを研究し、そのまま大学院修士課程に進学しました。M2になる時、加藤雅史先生が九州東海大学へ転出となり、親交のあった山田健太郎先生(当時)の下で、1年間疲労関係や破壊力学などをかじりながら、伊藤義人先生(現岐阜高専)の研究室に間借りをし、修士論文は加藤雅史先生の指導を受けるという、何とも玉虫色の生活をしていました。その後、心機一転、宇佐美研究室の門をたたき、以来、座屈耐荷力、さらには都市内高速道路の耐震設計の世界に足を突っ込むことになりました。 それまでは鋼材の弾性範囲内でのみ議論していたのですが、いきなり塑性領域の話が展開し、試験体や冶具の設計などは水野英二先生(現中部大学)の指導を受けながら、多方面に渡り修業をさせていただき、今では本当に感謝しております。 ドクターコース終了後、助手を2年経験したこともあり、11年間名古屋大学に籍を置きながら、これだけ多くの研究室を渡り歩き、不思議なネットワークが構築できました。ただし、一本筋が通っていたのは、すべて橋梁に関わる研究室を渡り歩けたのではと思っています。たとえ聞きかじり程度でも、聞いていたか、実際に見て触れたかの差は非常に大きく、今では、大切な財産となっています。 1997年4月から愛知工業大学にお世話になり、間もなく四半世紀となります。その間ご承知の方もあると思いますが、耐震実験センターにて、自前の実験のみならず、多くの方々からご相談を受け、様々な実験をこなしてきました。 やり慣れた実験から全く初めて経験するものまで、その都度多くの試行錯誤や失敗を経ながら、何とか大きな事故もなく過ごして来ました。これも、ひとえに関係の皆様のご協力の賜と思っております。現在は、ご多分に漏れず、老朽化する試験機の更新などの問題を抱えながら、日々過ごしております。 10年ほど前からは、学生たちが主体となり、鋼材を加工し橋梁模型を製作する競技大会JSBC(Japan Steel Bridge Competition)の立ち上げに参画させてもらう機会を得ました。大会に参加しながら、学生指導を通じて、改めてものづくりの楽しさを実感しております。 そのような中、年号も令和に代わり、学生たちとは親子ほども年齢が離れ、微妙な距離感を感じずにはいられなくなってきました。世代間のギャップや価値観の違いを感じながら、実験が多少うまく行かなくても、ケガさえなければ、それでよし。と切り替えるようになってきました。丸くなったなぁと感じるとともに、自分自身の老朽化問題も生じ始めていますが、まだまだこれからと、無理のない範囲で気合を入れ直しているところです。 最近は、学会活動やリクルート活動など、多くの場面で、学生時代の研究室の仲間や顔見知りと接することが多くなってきました。皆、それぞれの場所で活躍されており、前出のJSBCはもとより、耐震実験センターでの実験、試験体の製作や学生の就職先などでも、お世話になっています。今になって、改めて人とのつながりの大切さを実感しています。 ということで、次回は日本車輌製造の山田尚之さんをご紹介します。

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