株式会社エイト日本技術開発
橋梁事業部中国支社構造分野エリアマネージャー
小野 和行
私は、父親の仕事に影響を受け、関西大学土木工学科に進学し、土木工学の道へ歩み始めました。高知出身の私にとって、当時の大阪は見るものすべてが新鮮で、大学生活も非常に楽しかった記憶があります。当時、土木に関する単位は満遍なく履修しましたが、その中でも構造力学の面白さに惹かれ、4回生では構造研究室を希望しました。卒業研究では、「曲線箱桁の耐荷力に係る実験的研究」に取り組みました。当時、実験は夕方から夜にかけて実施、終了は深夜に及ぶことが通常でした。しかし、実験は解析とは異なり想定していない結果が出ることもあり、この要因を分析することが非常に楽しく、以降の私の考え方の基礎となっているのではないかと思っています。
卒業後は設計コンサルタントに入社し、橋梁設計がメインとなる部署で小規模な橋梁の設計に従事しました。そんな中、平成7年1月17日の兵庫県南部地震が発生。当時、大阪支店勤務の私は、尼崎市でこの地震を体験しました。この地震で、阪神高速道路をはじめとする橋梁の倒壊を目の当たりにし、大きな衝撃を受けました。この経験から、橋梁の耐震設計のあり方に強い関心を抱くようになりました。
その後、運良く土木研究所耐震研究室振動チームへ交流研究員として出向する機会を得て、耐震設計の最先端技術を学ぶことができました。土木研究所では、橋梁基礎の液状化に関する研究テーマを任され、私は橋脚基礎、当時同時に赴任した元廣さん(元ヒロコン)が橋台基礎を担当しました。当時、研究は職員の方々のアシストはありますが、基本、私たち交流研究員がメインで行い、その研究成果は多くの学会に発表しました。この土木研究所での充実した2年間、職員の方々から多くのアドバイス等を頂き、私のその後の人生に大きな影響を与えたといっても過言ではありませんでした。
土木研究所から大阪支社に戻った後も橋梁設計を続ける中で、神戸にて産官学の研究会として設立された「構造懇話会」に参加する機会を得ました。当時、懇話会の会長は神戸大学川谷教授で、私が幹事を担当していました。その際、川谷教授から「神戸大学での社会人ドクターとして研究しませんか」という誘いを受け、土木研究所出向以来の研究活動ができるということで迷わず入学を決意しました。在学中には様々な困難(紆余曲折)がありましたが、6年間で学位を取得することが出来ました。指導教員である川谷教授、研究アドバイザーの金先生(現京都大学教授)はじめ、その他多くの方々の御指導を賜り、この場をお借りしお礼申し上げます
現在も橋梁技術者として、橋梁設計、補修設計等、幅広く携わっていますが、これまで経験した色々な研究活動が土木技術者として大いに役立っているのではないかと思います。今、若い技術者は、私たちと全く異なる環境で日々の業務を行っているのではないかと思います。これは時代の流れかとは思いますが、若い技術者の方にも「何事にもチャレンジする精神」を伝えていければと思っています。次は土木研究所への出向の際に研究をご一緒した、復建調査設計の元廣貴喜さんにバトンをお渡しします。
