宮崎で設計会社創業

江橋 正敏株式会社江橋設計
代表取締役
江橋正敏

東北大学を卒業後、最初に勤めたのは橋梁メーカーの川田工業株式会社でした。東京の設計部に配属されたのですが、かなり手厚く新人教育をしていただき、橋梁に関する基礎知識・専門知識を身に付けることができました。また時代背景として、ちょうど図面が手描きからCADへ、計算書も手書きからExcelやWord等によるワープロ打ちへ変わっていく変遷期で、振り返りますと、この手厚い新人教育でそのCADやExcelなどの使い方を詳しく学べたおかげで今があるような気がします。 Excelを用いた設計計算やCADを用いた計画などに「楽しさ」を感じた私は、もっと設計に専念する道へ進みたいと考え、一念発起で鋼橋の設計専門会社「株式会社アイ・エス・エス」に転職しました。その後、自動設計システムが登場し、設計熟練者でなくとも比較的短時間で設計できるようになったことはとても衝撃的でした。とは言え、当時(2001年頃)の私は30歳を過ぎて中堅技術者扱いであったため、自動設計に乗る案件は若手に任せ、自動設計に乗らない案件が主な担当でしたが。 さて、このアイ・エス・エスの中村裕司社長がとても魅力溢れる方で、私の理想とする社長像のベースになっています。最も尊敬するのは、その膨大な読書量に基づく広い視野を持たれている点です。そしてまた、日本に「アセットマネジメント」を大々的に広めた第一人者でもあります。その中村社長よりアセットマネジメントの研究担当を突然命じられ、設計業務よりもその研究に専念するようになって行きました。 「アメリカの約40州(当時)の道路橋の維持管理計画策定に用いられているPONTISのような維持管理システムを日本にも導入できないか」からスタートしたのですが、「そもそもそのキーワードとなる『アセットマネジメント』とはなんぞや」と。幸運にも、東京大学教授の小澤一雅先生を委員長とする土木学会の「アセットマネジメント研究小委員会」の幹事・事務方を務める機会があったため、そこで多くのことを学べました。中でも、構造物の劣化予測などの未だ確立されていない予測に基づいた計画策定システムを試行といえども導入することへの抵抗が強いことに驚きました。日本人の気質なのか、未確立の予測式を用いることはまかりならんということで、システムを導入後に仮定した劣化曲線を適宜に見直していくというアメリカ方式での導入に反発が大きかったことを今でもよく覚えています。 そんな小委員会の活動が一段落したころ、妻の父が脳梗塞で倒れたことから、会社を辞めて妻の実家のある宮崎の地へ移住することになりました。その宮崎で2007年に株式会社江橋設計をゼロから立ち上げ、かれこれ12年になります。九州に人脈がなかったので、創業当時は仕事量の確保に苦労しました。我が社の「強み」として自動設計で対応できない特殊な橋の設計や既設橋の補修・補強設計などをアピールするうちに、今では宮崎や九州だけでなく、日本全国からお仕事をいただくようになり、多くの方に支えてもらって今に至っています。 また、江橋設計を起業して数年後、宮崎県の「汗人(アセット)マネジメント導入検討委員会」の座長をされていた中澤隆雄先生(宮崎大学名誉教授)と面識を得る機会があり、今では中澤先生の主催されている「NPO法人宮崎社会基盤保全技術研究所」の理事の末席に加えていただいています。宮崎では珍しい鋼橋設計専門家として、宮崎のインフラの維持管理にこれからも微力ながらお役に立てればと考えています。 次は業務でお世話になっている瀧上工業の設計グループ部長の上田博士様にバトンを渡します。

愛知製鋼