家族の支えあってこそ

中山 昭二一般社団法人橋梁延命化シナリオ研究会
理事
中山 昭二

大学卒業後、40年ずっと橋梁に携わることができました。幸せなことと思っています。神戸に生まれた私は、父の仕事の関係もあり、鋼構造物とりわけ神戸ポートタワー(神戸港に立つ塔高h‖108メートル、双曲回転体いわゆる鼓状の鋼管構造物)やヴィーナスブリッジ(展望が出来る回廊型プロムナード歩道橋)、摩耶大橋(当時としては珍しい斜張橋)などを眺めて、聞かされて、歩いて、触れて、育ちました。 思い返せば、「交通の図鑑」(小学館 学習図鑑シリーズ⑨、1961.6改訂版、定価350円)にある、数種類の形式の橋梁が描かれた見開きページをいつも見ていて〝一筆書き〟で図中の全橋を踏破できないか?進めないのか?悩ましげになぞっていました。進めないと分かったのは、後に、〝ケーニヒスベルクの七つの橋〟の逸話に出会ったときでした。橋に目覚めたそのルーツはと問われると、この当たりまで遡るのではないかと思います。高校で進路指導を受けた時に「橋をやりたい」と先生に言ったら、「じゃ、中山は土木だな!」と言われて何の迷いも無く、土木工学科を受験し進学しました。4年次には橋梁工学研究室に所属して卒業研究を行いました。 当時、オイルショック後の総需要抑制策から本四架橋1ルート3橋の建設再開が決まったところでした。そんな中、建設コンサルタント技術者として橋梁に向き合うことが出来ました。以降、幅員w=1・5~35メートル、支間長l0=2~220メートル、海峡部や湾岸・河口沖部、川幅も定かでない荒廃渓流の渡河部、山岳急斜面上のバイパス分岐部、国立公園内の高橋脚を有する高架橋、森林公園園地の搬入路・施工法が限定される園路橋、1柱1基礎の柱状体構造を有する多径間連続ラーメン高架橋、建設VE委員会等の運営、デザインビルド方式に係る共通仕様書の作成等々、新設・既設・施工管理・点検調査・計測試験すべての業務を経験できました。橋種・形式・線形に関わらず、また上部・下部・基礎すべて扱う中で技術者として鍛えられました。 「楽して得して褒められる」が目指すところですが、実際は「しんどい目をして損して怒られる」をいかに回避するか!精神的にもギリギリの状況が多かったように思います。ここで支え癒してくれたのは家族であり子供たちでした。(今は2歳半の孫娘が癒してくれます) そんな中で「フローティングクレーンを用いたSRCフーチングの設計・施工法」を完遂できた時、この世界で生きていけるかも!?と思った記憶があります。その後、設計業務では、国交省から局長表彰4件、事務所長表彰4件をいただくことができましたが、これは個人の手柄ではなく、チームとして機能したこと、またそれを成り立たせるために他の業務の安定的な実施体制があってのことで、その年度の構造部門全体の勝利、ご褒美と考えていいのだろうと思っています。上司・先輩・同僚・後輩諸氏に恵まれたゆえのことで、特に技術者として今あるのは、故植野宏氏(元大日本コンサルタント)、故齊藤史郎氏(同)のご指導のお陰と思います。また、いろいろな機会を通じて、その道の〝哲人〟に出会えたり、〝生涯顧客〟と呼べる知人・友人を得たり出来ました。 土木の語源は『淮南子』にあり前後はこんなことが書いてある、と丁寧にご指導下さったのは小柳洽先生(岐阜大学名誉教授)で、原典に返ることの重要性に気づかされました。「土木の単語そのものはそれ以前にも使われているよ、と教えて下さったのは、河田悌一先生(元関西大学学長、中国文学専攻)でした。ものごとの間口の広さと奥行きに感じ入りました。 近畿地整における産学官連携プロジェクト(新都市社会技術融合創造研究会)では、宮川豊章先生(京都大学特任教授)にご指導いただき、今も所属する法人の代表理事として引き続きご指導を頂いている次第です。橋梁の危機的状況が明るみに出るにつけ、調査・計測方法がないのであれば新たにつくればいいと考え、創意工夫することが大事です。いま、RC床版の内部水平ひび割れを非破壊で検出する手法を研究・開発していますが、ここでは谷口朋代先生(鳥取大学教授)にご指導をいただいています。 技術は日々進化・更新されていきます。技術者であり続けるためには詰まるところ「自彊不息」の精神で行くしかないようです。辛い話ですが、そこは老いも若きも横一線だと思います。紙面が尽きました。 次回は、橋梁延命化シナリオ研究会でご一緒しておりました、現・土木研究所の大島義信氏にバトンをお渡しします。

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