後ろ盾となるもの

田中 寛規株式会社ピーエス三菱
大阪支店土木技術部長代理
田中 寛規

大学で土木工学を学びましたが、やはりものづくりに携わる技術の習得や心得は会社に入ってからの修行と経験が必要で、仕事を通じ携わってくださった技術者の方との出会いと支援が大きいと感じます。 1993年に当社大阪支店に入社した私は、関西空港エプロン舗装新設工事に従事し、空港舗装PC床版の施工管理を行いました。広大なエリアで大規模な新設PC床版を製作し、プロジェクトの大きさを体験しております。また、JVの大現場で新入社員の私は、各社技術者の皆様に仕事を教えて頂きました。 一日数㌧のセメントを使用するグラウト管理には体が慣れるまで圧倒されましたが、土木構造物として地図に残る仕事に従事する充実感がありました。その経験から大阪空港や名古屋空港の工事応援に抜擢され、夜間作業の人員体制や安全管理を学びました。 1996年に設計部署へ配属し、当初は松山自動車道重信川橋や神戸淡路鳴門自動車道松帆高架橋など高度な新設橋梁設計を行っていた各先輩方の指導を受け、構造解析や架設技術を学びました。主桁セグメント製作および特殊架設工法を開発する技術魂に感動し、早くこのような工事に従事したいと憧れを抱きました。 1997年に愛知万博関連の橋梁整備工事および高速道路の新設プレキャストPC床版の設計に携わりました。名古屋応援時代には家族を持つきかっけとなる人生の出会いもありました。 1999年には阪神高速北神戸線の波形鋼板ウェブ中野高架橋の設計施工に従事しております。設計当時は国内に2橋しか施工実績が無い橋梁形式であり、各技術者の方々と共に設計や確認実験、現場計測を含めた一連の施工技術を経験し充実しました。 2004年以降、広島支店転勤を機にPC建協活動に携わりました。活動では高速道路の土木構造物の劣化について各専門家が集まる検討会に参加しました。その経験が後の技術対応への広い知識と大きな自信となりました。 グラウトホースの伝い水による変状確認では各技術者との交流を通じ、課題解決のアイディアと実証実験を行う分析スキルを学びました。更に高速道路大規模更新事業の設計施工に対応し、床版取替え対応と橋梁全体の劣化メカニズムを意識した業務の大切さを学び、社会的ニーズに応える開発など関係者からの後押しを頂き成果を得ることができました。 2018年以降、関西地区で大規模な高速道路リニューアル工事が行われ、自身の経験でその床版取替え工事に対応させて頂きました。今は家族生活の拠点を大阪に移し、万博会場に近いエリアに住んでおります。2025年の大阪・関西万博が楽しみです。 いろんな場所で様々な人と出会い、自身の経験を重ね仕事や新たな生活を始めることが人生の楽しみと感じます。世の中の動きに合わせ新たな技術の習得に自分の体を馴染ませ、新しい日本を支えるプロジェクトに貢献しつつ、更に今度は私の経験を次世代技術者への後ろ盾となるように後押しできる生き方でありたいと考えます。 技術が進化しAIが技術支援する時代ですが、まだそこは任せず対応していければと考えております。経験は人と人とをつなぎ明日の社会を創る原動力になります。土木技術が社会に貢献する素晴らしさを若い技術者の方にも感じて頂きたいと願っております。 次は、PC建協中国支部の活動を通じて大変お世話になった極東興和の谷慎太郎様にバトンを渡します。

愛知製鋼