心に刻まれた一言

佐々木 博株式会社横河ブリッジ
東京工事本部 東京工事第一部上級主幹
佐々木 博

私が小学生の頃、道路整備の関係で、実家の家を移動することになりました。曳家という工法で木製キャンバーを打ちながら家を嵩上げして枕木を何段にも積み重ね、それからコロを敷きならべ40メートルほど移動するというもので、その様子を近所の人たちと目を丸くして見た記憶があります。その後、大学の卒研ゼミの教授から橋の架設方法にも家を移動させたのと同じ方法があることを学び、更に興味が湧きました。 私は1986年に横河工事(現:横河ブリッジ)に入社しました。入社したきっかけは、前述の子供心の好奇心と教授から言われた「橋架けなら日本一の会社である」の一言でした。同年9月には、富士川にかかるワーレントラス2連の架け替え工事に従事することになり、小学生の時に見た横取り工法を経験することができました。大型の水平ジャッキを使用して一日で所定の位置まで移動する、その当時では最先端の技術だったと記憶しています。 所長からは「橋架けで重要なのは『縦×横×高さ』である。これが確保できるまで妥協は許されない」。私はこの現場で架設の難しさ、厳しさを痛感させられました。その後は、清見寺橋上部工補強工事、札ノ辻Bo架け替え工事、横浜環状北線Bo架設工事など計14件の橋梁現場に携わり、そして2011年の東日本大震災後には、災害復旧工事など鉄道や高速道路にからむ施工難度の高い現場に従事することができました。 その中から印象に残った現場を紹介したいと思います。2011年に従事した横浜環状北線Boは、京浜東北線他JR8線と京急線2線の計10線を跨ぐ鋼床版連続箱桁橋の曲線橋(R470メートル)で、架設は送り出し工法、縦取り工法、横取り工法、トラベラークレーンベント工法とあらゆる架設工法を駆使するという、鉄道上空の架設としては過去に例がない超高難度の工事でした。 最初は失敗だらけで、一日の送り出し量が数メートルしか達成できず惨憺たる結果が続いていました。設備的な改善策をどうすれば良いのか、焦れば焦るほど判断が鈍り、諸先輩から受け継がれてきた「架からない橋はない」を継続できないとネガティブなことしか考えられず、精神的にもかなり追い込まれていました。そんな中、施主である区長から「勇気をもって作業を中断し、電車の安全輸送を最優先したことに感謝します。全くもって恥じることも謝ることもありません」という言葉をかけられました。 私は鉄道工事で安全輸送を守るためには、営業線が終了した限られた時間で決められた作業を完璧に終了させることが使命であると思っていました。区長のこの一言で私の考え方は一変し、さらに現場に従事していたスタッフ全員の士気が上がったことを今でも鮮明に覚えています。これにより、本線桁の送り出し(送り出し量93メートル)は全くトラブルなく90分という短時間で終了することができました。 このように、私の37年の橋架け人生は、諸先輩の「一言」が大きく影響していると言っても過言ではありません。そして、この「一言」はこれからの人生においてもバックボーンになると確信しています。 次へのバトンは、札ノ辻Bo架け替え工事で共に汗を流し、そして現在大型プロジェクトでご一緒しています、鉄建建設の竹家勢二様にお願いしたいと思います。

愛知製鋼