橋から鋼へ掛ける思い

松下 政弘株式会社神戸製鋼所
鉄鋼アルミ事業部門厚板ユニット厚板商品技術部大阪グループ次長
松下 政弘

私の出身は香川県で、瀬戸内海を望む町で育ちました。中学生の頃に瀬戸大橋が開通し、それまで遠かった本州の街が身近になると感じたことを覚えています。巨大な土木構造物にひかれて大学では鋼橋の耐震を研究し、1998年に栗本鐵工所に就職、当時の橋梁設計部に希望通り配属となりました。
入社直後は、先輩が担当する首都高速の詳細設計付き案件を手伝いました。3か月が経ったころ、私は無謀にも、グループリーダーに「私に主担当工事を持たせて欲しい」と直談判しました。
その結果、運よく4件の到来図案件をほぼ同時に担当することになりました。もちろん設計照査も、お客様との打ち合わせも、工場・工事対応も、全てが初めてでしたが、自身の技術力向上のために獲得したチャンスだと考えて、橋梁技術者としての一歩を踏み出しました(ご迷惑をおかけした当時の上司、諸先輩の方々には、大変感謝しております)。
入社4年目に上司から「詳細設計付きJV案件の親会社を担当してみるか」と声をかけられ、内心は不安でしたが、東京環状自動車道(三郷JCT―三郷南)の「谷口高架橋」の設計を担当しました。
この案件は、当時出始めていた、支点上の鋼製横梁とRC橋脚とを一体化した複合ラーメン構造であり、技術的な勉強ができたうえ、設計者としての自信が持てるようになりました。
さらに現場架設も担当し、図面を見るだけでは得られない設計感覚を身に着けることができ、より安全で、確実に品質確保できる設計への意識が高まりました。その頃から自分が携わった橋には特に愛着を感じるようになりました。
その後、中日本高速、広島高速、福岡北九州高速の設計も担当しました。また、橋梁建設協会の設計研究委員会のWG活動に参加し、他の橋梁会社のベテラン技術者とつながりを持てたことは、その後の仕事に大きく役立ちました。
社会人になって10年目を迎えた頃、縁あって神戸製鋼所に入社。これまでの経験を活かして、高性能鋼材の開発や鋼構造物の性能向上を図る業務に携わってみたいと思ったのです。そこで、お客様のニーズを直接聞くことができる厚板分野のフロント部署に就きましたが、それは当初思っていたほど簡単な業務ではありませんでした。
同じ土木業界の者同士で仕事をしていたそれまでとは異なり、今度の部署では技術者以外の人にも、こちらの意図をくみ取り、納得してもらわなくてはなりません。なぜその商品が必要か? 売れる見込みはあるか? どれだけ儲かるのか? 技術の価値を伝えることは、エンジニアとして最も大事なことの一つですが、これがうまくできず、ハードルの高さを痛感しました。
厚板の仕事で挫折感を味わっていた頃、日本鉄鋼連盟(鉄連)の橋梁用鋼材研究会のWGに、神戸製鋼の担当委員として参加する機会を得ました。橋梁建設協会と橋梁用鋼材研究会との意見交換会で、以前ご一緒した橋梁会社の方に偶然出会い、「あれっ、今日はこっち側(橋梁建設協会)の席じゃないの?」と気軽に声をかけられ、昔の仲間に会えてホッとしたことを覚えています。
この研究会への参加をきっかけに、一度は挫折しかかった厚板のフロント部署に所属しながら、社内でも橋梁分野を担当するウェイトが高くなりました。
現在は、長寿命化ニーズに寄与する高性能鋼材の開発・商品化に携わっています。橋梁会社と鉄鋼会社という異なる立場で得た貴重な経験を活かし、今後も社会インフラの強靱化に貢献していきたいと考えています。
次回は、私が名古屋大学の修士課程時代にお世話になった、愛知工業大学の鈴木森晶教授にバトンを渡したいと思います。

愛知製鋼