橋に信念を込めて

上坂 隆志エム・エム ブリッジ株式会社
技術部 設計グループ主事
上坂 隆志

私が初めて橋に心惹かれたのは、中学三年生の時でした。大怪我で「NBA選手になる」という目標を挫折した時に訪れた地元の海岸で見た、海のその先に延びていく瀬戸大橋の壮大な姿に無限の可能性のような魅力を感じたことを、今でも鮮明に覚えています。次第に、人々の生活や安全に直接貢献できる仕事がしたいと考え、九州大学に進学し土木工学を専攻しました。プラント建設業界と橋梁建設業界とで最後まで就職先に悩んだのですが、「いつか瀬戸大橋のような壮大な橋の建設に携わりたい」という思いで、橋梁建設業界に進むことに決め、恩師である園田佳巨先生に紹介いただき、三菱重工鉄構エンジニアリング(現エム・エム ブリッジ)に入社しました。 設計部門に配属されてからこれまでの約11年間に、鋼橋上部工、鋼製橋脚、ジャケット式桟橋等15件の新設・保全業務を経験し、橋梁建設の醍醐味を肌で感じてきました。 初めての担当工事は、建設後40年を迎え吊材であるロックドコイルロープの破断や腐食、下弦材側の定着梁フランジの減肉が確認された、ニールセンローゼ橋の恒久対策工事でした。剛性が異なる被覆ケーブルの適用による各種影響の検証、路面キャンバーへの影響を考慮した全56本のケーブル張力の調整、減肉部への当て板補強等、技術的に多くのことを学びました。  止水対策では、将来の劣化予防効果を少しでも向上できないかと考え、ケーブルカバーや定着鋼管の取り換えに加えて、定着鋼管にケーブルカバーのずれ落ち防止部材を取り付けました。この経験から、メーカーの設計技術者とは、その橋の寿命を左右する最後の技術的な砦であると考えるようになり、技術者としてのマインドも学ぶことができました。 その後は、南本牧ふ頭本牧線のラケット型鋼製橋脚、台船一括架設工法の架設設計に奮闘した地元の倉敷みなと大橋、変わったところでは、大型客船の設備設計や施工管理等の案件に従事しました。2016年から従事した有明筑後川大橋では、光栄にも令和3年度田中賞(作品部門)を受賞することができました。 本橋は、国内初の2連の鋼単弦中路アーチ橋であり、単弦のアーチが3次元的に断面変化しながら支点部で二股に分かれる複雑な断面構造が採用されていたため、3次元モデルによる設計照査の高度化を図り、細部の干渉照査や溶接施工性の検証を実施しました。延長195・4メートル、総重量1765トンに及ぶ補剛桁の送出しや桁降下、ケーブルの張力調整時には、架設設計から現地での管理まで一貫して従事し、技術者としての使命を果たすべく、細部まで思いを込めて工事に取り組みました。 工事完成時には、地域の子供たちにより鋼床版に「未来へつなごう夢の架け橋」と描かれ、自らが携わった橋が将来の地域社会の発展や生活の利便性向上に寄与するであろうことを考えると、大きな達成感を感じました。 現在は、供用中の高速道路の機能拡張工事の詳細設計業務に従事しながら、業務効率化・生産性向上に向けた取り組みを行っています。 DXの推進による変化は、大きな気づきを生み新たな発展に繋がっていくと思いますが、まだまだ人間にしかできない仕事も多く残されると考えています。橋梁建設事業における技術的な最後の砦として、少しでも良い橋を後世に残せるよう、今後も信念をもって設計業務に取り組んでいく所存です。そして、橋に携わることで生まれる達成感や社会への貢献を通じて得られる働きがい・自己実現を後輩に伝えつつ、まだ見ぬ長大橋建設プロジェクトに挑戦していきたいと考えています。 次回は、九州橋梁・構造工学研究会(通称KABSE)での委員会活動でお付き合いさせていただいている、九州工業大学の高井先生にバトンをお渡しいたします。

愛知製鋼