次世代へ経験をつなぐ

佐藤 秀雄

大日本コンサルタント株式会社
大阪支社技術部長
佐藤秀雄さん

大学卒業後、高度な構造解析技術で数多くの橋梁設計を手掛ける大日本コンサルタントに入社。来島海峡大橋の設計・施工管理や、阪神淡路大震災で被災した浜手BPの復旧業務、静岡県吉田町の津波避難タワーの設計など数多くの橋梁プロジェクトに従事。公職では1996年から建設コンサツタンツ協会近畿支部の橋梁維持管理研究員会に参加し、産官学の技術者とともに調査・研究活動に取り組む。 現在は、大阪支社技術部長として総勢47人(全6室)の技術者を統括する。注力するのは次世代を担う若手の育成で、「教育係となる30代中堅層が少ない」としながらも、「技術の継承には、教えられる部分と、自ら経験させる部分がある。施工管理の業務を増やし、現場を経験させたい」と笑顔を見せる。  自らも経験を重ね技術力を培ってきた。大阪から愛媛の本州四国連絡橋公団今治工事事務所に出向し、西瀬戸自動車道の来島海峡第一大橋の3P主塔基礎・4Aアンカレイジの設計・施工管理を担当した。実際の工事では、3P・4Aの海底掘削、鋼ケーソン設置から三昼夜連続でプラント船から水中コンクリートを打設するケーソンの構築、4A躯体工事など現場を管理。「海上施工で苦労したが、実際の工事を経験でき貴重だった」 その後、大阪へ戻り1995年の阪神淡路大震災で被災した浜手BP復旧業務を担当。浜手BP全長2・8キロの大部分の橋梁が損傷し、通行止めとなり、その復旧が急務のなか、川崎地区の橋梁復旧詳細設計に追われた。2011年の東日本大震災後には、「津波避難タワー」として、道路上の空間を利用して、1200人が上がり、4㍍の津波浸水深に耐えうる、国内初の歩道橋型津波避難タワーの設計に参画。「建設計画から設計基準の整備、法律的な制約など一から整理した」と苦労を振り返るも、「経験でしか得られないものは多い」と繰り返す。 1960年生まれ。長崎大学工学部土木工学科卒業。 (山田由乃)

愛知製鋼