経験や知見を積み重ね

宮田洋好

株式会社綜合技術コンサルタント
東京支社 構造Ⅰ部 技術次長
宮田 洋好さん

中学時代には既に「将来は物作りの世界へ」と心に決め、専門技術を学べる和歌山工業高等専門学校に進学。4年生時に「新版橋工学」の著者の一人でもある、綜合技術コンサルタントの技術の重鎮であった久保田隆三郎氏と出会う。「ユーモア溢れる講義で、橋の魅力を教えていただきました」。その縁もあり1994年、同社に入社した。 大阪支社・設計Ⅰ部に所属し、駆け出しの技術者として業務に携わるが、年を跨いだ翌95年1月に阪神・淡路大震災が発生した。当時、下部工や基礎工の設計が主業務だったこともあり、阪神高速3号神戸線の橋脚が倒れる惨状には激しく動揺したという。発災直後から上司らと、神戸市内の構造物を調査して回り、アプローチ橋が落橋した西宮港大橋ケーソン基礎の地盤解析、3号神戸線の湊川出入路付近の復旧設計に携わった。 2000年代に入ってから、この時の経験を買われ、3号神戸線と31号神戸山手線(南伸部)を連結する湊川JCT開削トンネルの設計に携わる。 ジャンクション化に当たっては、できる限り既存構造物を流用するなどの発注者側の方針があった。「函体上に橋梁下部工が載荷するのですが、私自身が震災復旧で設計した西行ランプ橋をいったん仮受けしておき、函体と一体化した橋脚を新設しました。構造解析が複雑でしたが、震災時の地盤解析や復旧設計の経験が生き、これを応答変位法への足がかりとするなど、技術者としての経験値を試される工事でした」。当時は大規模開削TNの耐震設計法が明確でなかったため、これに詳しい先輩技術者にも相談、発注者とも連日話し合った。「自分だけでなく多くの人の経験や知見が積み重なり、技術が向上することを実感しました。この仕事をやり遂げたことが現在の礎となったと感じています」 現在は新規路線の橋梁や土工等の構造物設計を中心に、後進の指導にもあたる。大阪府出身。49歳。 (川村淳一)

愛知製鋼