藤井八冠に学ぶ

亀崎 令川田工業株式会社 大阪支社
橋梁事業部営業統括部企画室係長
亀崎 令

2007年に川田工業に入社し、主に橋梁の詳細設計と到来物件の設計照査を担当してきました。入社して15年強の若輩者?ですが、橋の数だけで言えば20橋以上参画をさせていただきました。関係各位の皆様には改めて感謝を申し上げます。 しかしながら、私が橋梁を仕事にすることになった経緯は、偶然的な部分もあります。元々は安藤忠雄氏のような建築設計士を志して大学に進学しましたが、デザインの課題に苦しんだことで方針転換を余儀なくされました。しかし、橋梁などインフラ構造物の行政経営に関心を持ち、成績も悪くなかったので、社会科学を基盤としたB/C最大化に関する研究室の門を叩きました。 けれども、研究テーマ選定時に、なぜか構造分野への関心も捨てられず、B/Cと構造分野を合わせたテーマを模索しました。本四高速のOBであった教授の提案で、斜張橋、吊り橋、そして吊り橋と斜張橋の設計思想を組み合わせた斜張吊り橋を、支間長と主塔高をパラメータとした試設計に基づいてコスト比較する研究テーマに落ち着きました。この研究はまさに橋梁の詳細設計の鋼重ミニマムを目標とした経済設計そのもので、現在の業務に大きな影響を与えています。 また、長大橋に関する海外のテクストを、数か月かけて熟読し、理解した経験も、今の仕事に役立っています。その後、大学院では、現芝浦工業大学の穴見教授の疲労の研究に魅了され、転籍することになりました。その際に、弊社の四国工場で製作した面外ガセット試験体の縁から、川田工業に飛び込むことになりました。 入社直後は、施工管理と設計業務、工場製作管理を短スパンでそれぞれ従事し、メーカーでの業務の流れを大まかに把握させていただき、その後は、設計照査と詳細設計を主に行いました。15年強という短い期間でも、様々な出来事がありました。 アーチ橋のような特殊構造の設計や、現在は、既設橋を新設アーチで下から支持をして、既設橋を補強し、床版を取り替え、拡幅歩道橋を新設するような設計・検討を行っています。一般的な高架橋でも、防護柵の門扉の方向を間違えたり、高価な付属物が現場で取合わなかったりと、橋梁の規模や形式に関係無く、様々な思い出があり、すべての経験が、自分の生涯の財産だと思っています。 最後に、この原稿を執筆している24年2月9日の前日の2月8日、将棋の藤井聡太八冠が、タイトル戦20連勝という大記録を達成しました。私は将棋の中継を観ることが趣味の一つであり、彼がタイトル戦などで一手指すために数時間考え、「定跡」外の手や「AI超え」といわれる手を指すのを観るたびに、「あなたはこれまでの経験で得た橋梁設計の〝定跡〟あるいは〝AIの解〟を使用して業務を遂行するつもりでしょうが、それは必ずしも最善手ではないですよ」と言われている気がしています。厳しいですが、若い頃に無意識でできていた柔軟な思考を、今後は意識的に行いたく思います。 次は私の大学の同期であり、最近書籍も出版されましたインフラ・マネジメントの坂元陽祐代表取締役CEOにバトンをお渡しします。

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