限界を学ぶ

和田 圭仙西日本高速道路株式会社 関西支社
建設事業部構造技術課課長
和田 圭仙

三井住友建設の諸橋様からたすきを受けましたNEXCO西日本の和田です。 私は宮崎の片田舎で生まれ育ち、たまに家族で遠出するといえば、当時できたばかりの都城ICから高速道路に乗り出かけるのが子供ながらに楽しみでした。 その折、日本道路公団の存在を知り高速道路を造ってみたいと思い、大学で土木を専攻したのが入社のきっかけです。表題の「限界を学ぶ」は、現在、主にインハウスで橋梁の計画や設計に携わっており心掛けている言葉です。 1999年の入社以来、今までほぼ橋梁に関する部署に従事しており、また出向を通して様々な立場の方と仕事をすることができました。感謝しています。 特に印象に残っているのが、3箇所目の異動で関西支社の橋梁部署勤務となった際、鋼ポータルラーメン橋を試験施工するため、大阪工業大の栗田章光先生に鋼コンクリート接合部の実験計画について指導を仰いだことです。 合理化を目指し鋼桁に直接PBL(孔あきジベル)を設ける構造を計画しましたが、隅角部で壊す設計思想は鋼もコンクリートもない中、実験に限り、隅角部の各断面にどの程度の耐力差を設ければ、フランジ支圧面の余剰耐力を考慮しても確実に隅角部で壊すことができるか試行錯誤していました。その際、栗田先生はよく、「どこ(の断面が)が勝つか負けるか」とおっしゃっていました。今思えば、若造の私にわかりやすく説明するため、複合構造をご専門とされた先生ならではの表現だったと感じます。おかげさまで数体の実物大実験はうまくいき、実施工するとともに特許取得できました。 このときの考えは、2012年から3年間土木研究所に出向した際、大阪工業大・橋建協との共同研究において、スタッドを用いた鋼ポータルラーメン橋の十数体の実物大実験を行った際も大いに役立ちました。またこの時、土木学会論文として執筆したことは、当時は大変でしたが今思えば宝です。 この土木研究所出向では、技術基準を担う立場から、会社では得られない貴重な勉強をすることができました。道路橋示方書の改定に向け、コンクリート橋編のせん断耐力評価式を見直すべく既往の実験データ整理や海外基準の調査、道路協会のWGや小委員会での説明・議論など大変でしたが、当時上司の木村嘉富上席研究員や交流研究員の方々などにお世話になり、その後、無事に改定されました。 その際、「安全率」や「安全余裕」、「不確実性」といった言葉が日常的に飛び交い、基準に書かれている数値の背後にどの程度の余裕があるのか、意識することが身に付きました。 現在、新名神高速道路など管内の新設橋梁や拡幅橋梁の計画・設計を進める上で、多くの実験を行っていますが、数値のクリアのみに目が行くのではなく、その壊れ方は満足行くものか? 壊れた後の挙動は大丈夫か? を意識しています。 なお、図書『建物が壊れる理由』の和訳本に、疲労や想定外の偏荷重、地震や風の共振、支持地盤の緩みなど様々な要因により橋やダム、建築物などの構造物が壊れた実例が紹介されています。同書の結び―将来、破壊を防ぐことは可能か―に対して、「人間としてのより深い自覚、社会に対する強い責任感があってはじめてより安全な建物を造り上げることができる」とあります。 この考え・倫理観に少しでも近づけるよう引き続き取り組んで行きたいと考えます。 次は、東九州道の波形鋼板ウェブ橋建設にあたり、数多くの創意工夫を行い、お世話になりました川田建設の森脇健次様にお渡しします。

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