今は恭寛信敏惠です

宮脇 裕明株式会社 ニューテック康和
安全品質環境部
宮脇 裕明

私は1979年にピー・エス・コンクリートに入社し、46年が経過しました。その当時は東北・上越新幹線工事が最盛期の頃です。当時の社名はピーエス・コンストラクションに変遷しています。
現在は、関係会社であるニューテック康和に従事しています。
入社まもなく工事課配属ですが、当時の技術者配置制度はゆるく、元請け工事・下請け工事を兼任し忙しく働いていました。常に少しでも、技術者として成長したい気持ちが支えでした。
1990年(平成2年)東名高速道路改築事業の一環として建設された東名足柄橋は、上部工工事工程短縮の観点から1橋脚にプレキャストセグメント張出架設工法が採用されました。
その工事は発注者としても本線橋で鉄筋がつながっていない構造は初めてでした。若干30代前半の私が工事主任で、6才上の先輩が工事所長として抜擢されました。
急速施工達成の鍵は、①ロングライン方式で製作したセグメントを如何に架設場所で復元するか、②シースダクト孔の閉塞を防ぎPCケーブルが全てスムーズに通線出来るか、先輩と2人のこれまでの施工経験を全てつぎ込み無事架設が終了しました。発注者から工程回復が一番早かったと言われ、最大の達成感を得ました。その後、「道路橋示方書・コンクリート製接合キーの設計」が整備されました。
1998年(平成10年)この現場は、跨道橋とランプ橋の計11橋で、その内6橋が斜材付π型ラーメン橋でした。当時の工事部長から、受注はしたけど予算的に厳しい現場だから対策を考えろと言われました。
そこで、π型ラーメン橋の斜材・垂直材をプレキャスト化しました。
プレキャスト部材は運搬や架設重量を考慮して縦方向に3分割し、幅を2㍍以下、重量を10㌧程度とし、汎用性のある45㌧クレーンで架設可能としました。当然、脚部の剛性低下が生じ上部工への影響が懸念されましたが、若手の設計技術者と組んで詳細設計による設計変更を承諾して頂きました。発注者の工事長から、本線橋でないから承諾したが、あまり無理するなと言われました。その後、大きな地震を経験していますが、不具合は生じていないので安堵しています。
2003年(平成15年)~現在まで、現場から店社側の管理部門に移り、東京・大阪・本社での10年間は大変厳しい時代でした。公共工事設計労務単価の推移を見ても、どん底が2012年(平成24年)です。業績の確保と安全・品質上の不具合処理に対応しました。その後、労務単価は13年連続の上昇となっています。
九州と東京で役員を経験した後、本社土木部顧問の2年間に工事検査室や重大事故の再発防止に携わりました。この経験から、今までの仕事をリセットする事が出来ました。
今の会社は、後発の橋梁補修業者ですが、親会社の技術(リパッシブ工法・NSRV工法・電気防食工法・PCコンファインド工法等)を独自技術としています。常に、周辺技術でのアップデートが望まれます。少しでも後方支援出来ればとの思いから、孔子論語の「恭寛信敏恵」に共感を覚えています。また、自分の経験を活かして社会とのつながりを得ている皆様にエールを送ります。
次は、2回/年ゴルフでお会いする安部日鋼工業の西尾浩志様につなぎます。

愛知製鋼