私の岐路と橋梁設計

俵谷 保男株式会社綜合技術コンサルタント
東京支社構造Ⅰ部 技術部長
俵谷 保男

世界遺産吉野山へ至る鉄路を支える近鉄吉野川橋梁(上路プラットトラス橋:土木遺産)は、幼少期に強烈な印象を刻んだ橋梁です。両親の出身がこの地であり、父の運転する車の中から見た橋の姿は、今も強く心に残っています。時が流れ、大学進学を機に大阪工業大学工学部土木工学科へ入学しました。
当時は、構造工学の岡村宏一先生、堀川都志雄先生、橋梁工学の栗田章光先生、コンクリート工学の小林和夫先生、井上晋先生(現学長)の指導を受けました。できることなら、もう一度講義を受けてみたい先生方です。
人生最初の岐路は、栗田先生の橋梁工学研究室に所属したことです。研究室では大学院進学者が私一人のため、テーマは「合成柱」限定でした。実は、橋梁研でダイナミックなトラス橋のような研究を想像していたことから、地面から突き出る一本柱の研究は、当初地味に感じました。
一方で当時、博士課程の大山理先生(現・大阪工大教授)の二重合成連続箱桁橋の研究は、いかにも「橋梁」という印象で羨ましく眺めていた記憶があります。
さて、合成柱の研究では、学部の講義ではなかった全塑性や弾塑性理論を学び、さらに阪神・淡路大震災後という時代背景の中で、先輩から引き継いだ地震時保有水平耐力法のFORTRANプログラムを用いた解析に取り組みました。実はこの経験が、社会人になってからの下部工・耐震設計での考え方に大いに役立つことになります。
博士前期課程の修了後、平成12年に綜合技術コンサルタントに入社し、東京支社配属が大きな岐路でした。当時圏央道設計業務が活況を呈していた背景からの配属だったのでしょう。東京は初めての地でしたが、今年をもって人生で最も過ごした地となります。
こうして迎えた1年目から、23基の下部工設計を担当することになりました。学生時代に学んだ地震時保有水平耐力法を駆使して――そんな思いは現実の前に早々に打ち砕かれます。
下部工設計は、柱だけでなく、フーチングや基礎、さらには土質分野まで含めた総合的な検討と設計の積み重ねであることを上司から教えられ、勉強のやり直しでした。その最初の設計が、現在のさがみ縦貫道・茅ヶ崎JCTです。これがその後のジャンクション「岐路」設計に関わるきっかけとなるのですが、10年以上を経て橋梁全体の設計も担当するようになりました。
山形県の日沿道の高架橋設計では、橋台周辺の軟弱地盤に関する検討を重ねたことが強く印象に残っています。さらに施工計画検討などの業務も担当することになり、千葉圏央道や、桶川ジャンクション周辺の施工検討、首都高下の国道357号東京湾岸道路・本牧ジャンクションの施工検討も経験しました。そして、圏央道(横浜環状南線)栄JCTでは、管理技術者として橋梁設計業務を担当し、現在も施工検討業務等に従事しています。業務以外では、(前号の)今川先生からの紹介のとおり、日独橋梁シンポジウムへの参加や、土木学会構造工学委員会で皆様にお世話になりました。
次のバトンは、これも岐路で出会った共通の友人つながりで、東京・勝どき「黎明小橋」のデザインをされたホシノアーキテクツ代表取締役・星野裕明さんにお願いしたいと思います。

愛知製鋼