施工に奇策はない

西口 勝次株式会社Stage22創都研究所
代表取締役社長
西口 勝次

私が土木、その中でも橋梁に興味を持ったのは、高校の数学の授業での先生の言葉でした。先生のご兄弟に土木技術者がおられたようで、授業の中ほどで鉄道橋の話をされました。「鉄道橋は、左右から来た電車が橋の上で交差するとき、そのたわみ量を計算してミリ単位で上げ越している」とのことでした。今思えば、活荷重に対して「そり」を付けることは無いはずですので、死荷重に対する話だったかもしれませんが、当時は衝撃を受けました。 立命館大学では土木工学を専攻、橋梁研究室に在籍しました。1983年、綜合技術コンサルタントに就職し、特殊設計課に配属されました。そこでは、モノケーブルの吊橋やオールフリー形式の斜張橋などの設計を手掛けており、私は大変形解析を用いた斜張橋のケーブル張力を決定するため試行錯誤する毎日でしたが、施工手順により完成系の応力状態が大きく変わることを実感しました。8か月を過ぎたある日突然、本州四国連絡橋公団第三建設局今治工事事務所への出向を言い渡されました。 今治工事事務所では、Eルート(現しまなみ海道)のうち大三島から今治までの道路建設を受け持ち、私が赴任した1984年は、伯方・大島大橋の下部工工事の真っ最中で、上部工の設計施工に入る準備をしていました。伯方橋は、当時日本最大の箱断面を有する3径間連続鋼床版箱桁橋であり、大島大橋は、日本で最初の箱桁を補剛桁に持つ単径間吊橋でした。 伯方橋の側径間は9分割した桁をベント併用のトラッククレーン架設、中央径間を跨ぐ182mは、当時日本最大級のフローティングクレーン「武蔵」による一括架設。大島大橋の側径間は4径間連続鈑桁で手延べ機による送り出し架設、主塔はクリーパークレーン架設、主ケーブルはPWS工法、補剛桁は主ケーブル上に設置した特殊クレーンによる直下吊り工法と、まるで鋼橋架設の見本市のごとく多種多様な工法を体験することができました。 なかでも、伯方橋ではクレーン船の左右のブームの傾斜角を変え、吊り上げる桁の橋軸線とクレーン船の中心線に71度の角度を生じさせることにより、狭い瀬戸への進入を可能とし一括架設したこと、大島大橋では流れの速い海域に一点係留された台船から短時間で吊り金具を掴み水切りするために、特殊な金具の開発がされたことなど、沢山のアイデアや創意工夫があって現場が進むのだと感心しました。 ここで学んだ一番のことは、「施工に奇策はない」ということです。当たり前のことですが、どのような巨大な建造物も人間が造ります。安全を確かめながら一歩ずつ確実に作業し完成を目指します。「どうにかなるだろう」や「イチかバチか」な考えは絶対にありえません。豊富な経験と技術に基いた方法が採用されます。この今治での4年2か月の経験がその後の私の仕事上の礎となりました。 現在、橋梁に対しては補修・補強が喫緊の課題ではありますが、技術の伝承が可能なうちに「紀淡海峡大橋」や「豊予海峡大橋」など、夢のあるプロジェクトが実現することを願っています。 次回は、株式会社協和設計の代表取締役社長の久後雅治様にお願いします。

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