橋に導かれて

谷 一成高田機工株式会社
技術本部 設計部 設計課長
谷 一成

橋と本格的に関わり始めたのは、大阪市立大学に入学し4回生のときに研究室に配属されてからになります。当時、研究室の配属にあたり、鋼構造が苦手で単位も1度落としていたこともあって、橋梁とは別の研究室を希望していました。ところが、当時配属担当だった山口隆司先生の勧誘により、定員不足だった橋梁工学研究室に入ることになりました。それがなければ、橋梁とは別の人生を歩んでいたかもしれません。 当時研究室には、北田俊行先生、山口隆司先生、松村政秀先生がおられ、橋梁ファブや高速道路会社と研究を行うなど非常に活発な研究室でした。研究は「既設鋼製橋脚の耐震補強法」について取り組み、実験や解析を行いながら、橋梁技術者としての一歩を踏み出しました。研究室では社会人の先輩方のご活躍を伺う機会も多かったため、橋梁業界を志望するようになったのは自然な流れだったと感じています。修士課程修了後の2003年に地元大阪の橋梁ファブである高田機工に就職しました。当時は橋梁業界が下火になりつつある時期であったため、進路に関して一抹の不安があったことも今では懐かしい思い出です。 会社に入ってから本格的に橋梁らしい仕事として、中央径間長260mの中路式アーチ橋の耐震検討を社内で行うことになりました。上司の指導、手ほどきを受けながらファイバー要素の分割や結果出力の整理などを行いました。最近のソフトのようにグラフィカルな結果出力もあまりなかったため、出力された数字を見ながら本当に合っているのかな?と悪戦苦闘したことが記憶に残っています。 その後、耐震検討の経験を買われてか、まだ修行が足りないとの判断からかはわかりませんが、設計業務と合わせて、せん断パネル型鋼製ダンパーの共同開発に横河ブリッジさん、川金コアテックさんと携わることになりました。製品化するにあたって、実験計画や性能評価などに関わり、設計とはまた違った経験ができたこと、各社の皆さんと交流できたことも貴重な思い出です。 最近では、富士川下流にかかる3つ目の一般道路橋となる橋長742m、鋼7径間連続鋼床版箱桁橋である富士川かりがね橋の工事に携わりました。技術的なところは省略させていただきますが、架橋位置周辺からは橋の雄姿とともに富士山も眺望できます。開通まであともう少しとなりますが、地域の皆さんに長く愛される橋になって欲しいと思います。 三日坊主で何事も続かなかった私ですが、橋の仕事は続けることができました。橋に携わる皆さんの橋への熱い情熱と温かく成長を見守ってくれる環境のおかげで、遅い歩みながらも少しずつ成長し、いつの間にか「橋の魅力」にはまっていった気がします。まだまだ学ぶことは多いですが、橋梁業界の発展に少しでも寄与できるよう引き続き努力していきたいと思います。 次回は、関西道路研究会でご一緒しており、コンクリート橋の維持管理にご指導いただいています国際建設技術研究所の藤原規雄様にリレーさせていただきます。

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