私の土木人生

今田 裕之

株式会社和幸設計
代表取締役
今田 裕之

この原稿依頼を受けたとき何を書こうかと迷いました。特に自慢できることもない私です。今年の年賀状で定年退職が近いという連絡を何通かもらったこと、昨年の同窓会でも定年の話題が出たことから、私の土木人生もそろそろ終わりに近づいているのかと思っていた矢先にこの依頼があり、これまでの自分を振り返ってみるのもいいかと受けることにしました。最初に謝っておきます。読む方にとっては何かためになるわけでなく、面白くもありません。ごめんなさい。 私と土木の出会いは、大学受験でした。なぜ、土木工学を選んだのかその時ははっきりとした理由はなかったと思います。入学後、土木の道へ進むと意識したきっかけがありました。それは高倉健主演の「海峡」という映画でした。学生仲間数人と見に行きました。 もう年近く前の記憶なので違ったところがあるかもしれませんが、本州と北海道を繋ぐという難航を極めた青函トンネルの大プロジェクトに挑む人々を描いた映画でした。主人公を演じる高倉健が「最後の発破をかける」と合図し、着火ボタンを押すと函館側と青森側が繋がり、両方から掘り進めた者たちが固い握手をする。一緒に見に行った皆が感動で涙していました。ヨシ!これだ。今となっては単純だったなあと思いますが、「これが男の仕事だ」と思い、土木に進むことを決めました。 それから卒業して就職したのは橋梁を造る会社でした。入社後の研修が終わり、配属後すぐに本州四国連絡橋を設計する部署に行くこととなりました。ここでの経験が、私の仕事に向き合う姿勢の基礎となりました。新入社員ですから仕事の内容は雑用と図面修正がほとんどでした。 しかし、優秀な方がたくさんいて仕事とは何か、そこに向き合うための心構えというものを教えていただきました。みなさん仕事にこだわりを持っていて、これが技術者なのだと影響を受けました。今でもこの経験は貴重であったと思います。 次に記憶しているのは元の部署に戻った後、業務を進める中で不明なことを当時の上司に相談したところ、一緒に模型を作ろうということになりました。そのために休日出勤をし、材料を買いに行き、今思うと恥ずかしいような幼稚な模型でしたが一生懸命に作り、それをもとに議論したことを覚えています。 当時は上司と一緒に考え、試行錯誤するという時間的余裕が組織にあった良き時代だったと思います。結果として作った模型はあまり役に立たなかったのですが・・・。  その後転勤があり、また新しい方との出会いがありました。出会った方々は個性的な方が多く、各々がしっかりと自分というものを持っていたため、大きな刺激と影響を受け、経験と知識を増やすことができました。 その経験をもとに年勤めた会社を退職し、独立しました。橋梁を設計する会社です。まだまだ小さい下請けの会社ですが、橋を設計するという仕事は我々が支えているのだという自負を持って取り組む会社です。そして社員みんなの笑顔を増やすことが私の目標であり、役目だと思っています。 色々ととりとめのない文になりましたが、振り返ってみると仕事に関しては自分のやりたいようにやってきたのだなあと思います。これは、たいへん幸せなことです。しかし、まだ道半ばであり、まだまだ頑張ります。 まだ、私の土木人生は終わりません。 次回は、株式会社Stage創都研究所の西口勝次氏にバトンをお渡ししたいと思います。

愛知製鋼