経験で培う技術力

兼塚 卓也中央復建コンサルタンツ株式会社
代表取締役社長技術士
兼塚 卓也

私は1982年に中央復建コンサルタンツに入社し、道路の計画・設計に従事してきました。私には橋梁本体の設計の経験がないため、今回の執筆にあたっては少し違った目線で書かせていただきます。 道路を計画する上で橋梁を切り離すことはできない。道路の平面、縦断線形を検討する場合、橋梁計画は重要なポイントのひとつとなる。河川、鉄道、道路との交差は橋梁が基本だ。縦断線形を決定する際には、橋台・橋脚位置、支間割、上部工形式、基礎工の必要性などを検討の上、橋梁の構造高を想定する必要がある。それを受けて道路縦断を計画するため、道路の技術者にとって、橋梁に関する知識知見を有することが重要だ。さらに応用問題は高速道路のJCTやICの設計である。本線とランプ、ランプ相互の交差について、建築限界、合成勾配を考慮しながら立体的に線形を確定する。 これは経験に培った技術者の勘が必要な仕事といえる。1998年頃に携わった阪神高速道路のユニバーサルシティ出口ランプの道路および橋梁設計は印象に残っている。ランプ線形を計画し、そして都市計画決定手続きから詳細設計までを行った。ユニバーサルスタジオジャパン開業という期限の中、今では考えられないスピードを求められた業務だった。 私のコンサルタント人生の中で大きな経験になったのは、20歳台のときの3年間の日本道路公団(現在のNEXCO西日本)高知工事事務所への施工管理としての出向である。入社3年目でまだ駆け出しのころに、高速道路のインターチェンジ、山岳トンネル、長大橋梁の施工管理、工事の積算補助、調査や設計業務の発注者側に立っての対応などを経験した。担当区間は高知県北部の大豊町内で、地形は急峻で地滑りが予想される地質という条件下だった。 橋梁については橋長150メートル、橋脚高が50メートルほどの二径間のトラス橋の施工に関わることができた。基礎は直径10メートルほどの大口径深礎で、土留めのためのアースアンカー施工の定着検査、橋脚の鉄筋・型枠の検査、コンクリート打設の立会い、高橋脚上での支承の検査などいまでも記憶に残っている。発注者の思いに触れられたこと、現場条件によっては施工方法や仮設方法で設計どおり現場が進まないこと、そして発注者や施工会社の方々との人脈が作れたことなどが大きかった。どれだけ多くの人と交流できるか、どれだけ刺激を受ける仕事に関われるかが、人間の成長に影響するのではないかと思う。 最後にやりがいについて、自分の成果が形になり自分の名前が残るということはとても重要だと思う。 橋歴板には施工会社、設計会社とそれぞれの管理責任者の氏名が記載される。普段から橋梁設計に関わっている技術者にとっては当たり前のことが、道路の技術者の私がその恩恵を受けたことがあり、とても誇らしかったことを記憶している。今から15年くらい前に、茨城県内の圏央道の道路詳細設計の管理技術者を担当した。業務の中に橋梁詳細設計も含まれていたため、橋歴板に私の名前が記載された。 小さなことかもしれないが、こういったことが我々建設コンサルタントにとってはやりがいや達成感といったものにつながる。橋梁だけでなくいろいろな構造物に設計者の名前が刻まれることが当たり前になることを望む。 次回は、建設コンサルタンツ協会の活動でお世話になっているオリエンタルコンサルタンツ関西支社副支社長の三矢寿さんにお願いします。

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