経験工夫の積み重ね

野澤 栄二宮地エンジニアリング株式会社
常任参与 計画本部長
野澤 栄二

私は、1991年に宮地建設工業(現:宮地エンジニアリング)に入社しました。 計画部の配属となり、そこで橋梁架設計画の基礎を学び、入社3年目にしまなみ海道の多々羅大橋上部工工事に携わることになりました。 ご存じの通り、多々羅大橋は主塔高220メートル、中央支間長890メートルで当時としては世界最大の斜張橋でした。 当該工事は、広島県側を(その1)工事、愛媛県側を(その2)工事として分割され、私は(その1)工事の架設部会として参画しました。 当社からの架設部会は私1人で、入社3年目の私にとってはやりがいを感じた反面、不安だったことが思い出されます。 広島市内の設計事務所で設計部会と合同で作業を進め、広島県生口島に工事事務所が開設され現地工事が始まりました。工事は順調に進捗していき、私は工事の進捗に追われるように皆様の指導を受けながら計画業務に没頭していました。 主塔架設、桁大ブロック架設を経て中央径間の張り出し架設が始まり、中央径間閉合を目前にした1997年7月に台風9号の襲来を受けました。ワイヤーによる桁相互連結など、その時点で出来る限りの耐風対策を行い無事に閉合したときの感慨深さは忘れられません。 計画部に戻った後、次は東海北陸自動車道の椿原橋上部工工事に計画と現場担当として赴任することになりました。 構造形式は3径間連続複合トラス橋で橋脚部に斜ベントを設置して橋脚部の鋼トラスとPC床版を施工した後に、鋼トラスの張り出し架設とPC床版施工を順次繰り返しながら逐次合成していくものでした。 自分の計画が日々目の前で形に成り、普段机上で気づかないことを直接感じ学べたことは貴重な経験となりました。 中央径間閉合を無事に終えたとき、所長から「中央支間155メートルのトラス橋を閉合させた人間が何人いる? 誇りに思え」と言われたときはとても嬉しく思いました。斜ベント支点解放は、1支点当たり約700トンの大反力であり1000トン油圧ジャッキを配置して反力管理を行いながら合計8支点の解放でした。支点変位差による荷重変動が大きいことから支点部には解放に必要な量の板厚9ミリのライナー材を積み重ねて1枚ずつ抜き取りながら慎重に支点解放したことを覚えています。 少し話はそれますが、現場事務所は合掌造りで有名な白川郷にあり、1階が現場事務所、2階が宿舎と食堂でした。休日には近くの高台に登り合掌造りの家屋群を眺望し、また、ここは豪雪地帯でもあるので冬季の工事休止期間中は私を含めて3人が事務所に残り、工事休止期間明けに向けた準備作業を行いながら、毎朝ラジオ体操の代わりに事務所周りの雪かきを日課としていたのが懐かしく思い出されます。 その後は、鉄道橋新設工事や線路上空部に位置する非常に急カーブな跨線橋架設、豪雨により被災した橋梁の復旧工事などに携わりました。 構造形式や施工条件は様々ですが、一つ言えることは、積み重ねてきた経験や工夫は次の計画にも活かされていくということです。このことは、しっかりと次世代にも継承して橋梁技術者の育成に関わりたいと思います。 次回は、富士ピー・エスの左東有次様にバトンをお渡しいたします。

愛知製鋼