道路橋の安全確保と長寿命化を目指して

大石龍太郎オリエンタル白石株式会社
取締役執行役員技術担当
大石 龍太郎

私は大学と大学院の3年間、アンボンドやⅢ種PCの実験的研究をしていました。先輩に教えてもらいながら自ら鉄筋を組み、シースを配置しPC鋼材を挿入、プレストレスを導入しグラウトを注入、養生をして約100本のはりの載荷試験を行いました。この経験が今の仕事にも役立っています。  1980年に建設省(現在の国土交通省)に入省し、金沢工事事務所の調査課と工務課に1年ずつ勤務し、バイパスの計画や設計、道路工事の積算、施工を経験しました。特に橋梁関係では、道路橋示方書改定に伴う鶴来大橋の床版の修正設計と図面の修正を行いました。  その後、国土庁、建設本省、近畿地建、道路局、土木研究所勤務を経て、1996年に松江国道工事事務所長になりました。行ったこともなく、誰一人知り合いもいない島根県での仕事に不安でしたが、その不安は思いやりのある優秀な職員に恵まれて払拭され、本当に楽しく仕事をさせていただきました。  仕事は山陰道や中国横断自動車道尾道松江線の高速道路の調査、設計、環境影響評価、施工を行い、多くの橋梁を建設しました。当時は、島根県を縦貫する高速道路は1㌔も無く、補正予算を可能な限り頂き、整備を進めていきました。  2001年に東京国道工事事務所長になり、23区内の国道管理が主たる仕事で、国道の起点がある日本橋の管理も行いました。  日本橋はアーチ形式の頑強な構造と構造美を併せ持ち、関東大震災や東京大空襲にもびくともせず、100年以上にわたって都心の機能を支え続けています。お金をしっかりかけて、冗長性を持ち機能美のある設計、品質を確保する施工、丁寧な管理により長寿命化が実現しています。  2008年に土木研究所理事(兼)構造物メンテナンス研究センター長になりました。この時に、長野県神戸橋でのRC床版穴あき事故の技術相談が寄せられ、最近顕在化している床版の土砂化の実態を初めて見て、土砂化の現象がなぜ起こるのかについて勉強を始めました。  また、PC鋼材が腐食破断した妙高大橋の技術相談を依頼されたのもこの時期でした。事務所から送られてきた写真では、表面に近い鉄筋はほとんど錆びていないのに、シースが無くなっていたり、多くのPC鋼材が腐食、破断したとしていたのにはびっくりしました。  構造詳細図を見ると、グラウト注入空間が非常に狭く、グラウト未充填やPC定着部からの水分等の侵入を疑いました。最終的には、凍結防止剤(塩)を含んだ水がPC定着端部より長年にわたって侵入したことやグラウト未充填が主な原因でした。  この状況はたまたま補修工事の際に見つかったもので、内部の腐食破断の状況が分かっていたものではなく、またカナダのデラコンコルド橋での施工不良に伴う落橋事故も外から分からなかったために、適切な対処ができず、死亡事故を招いてしまったものです。  これらのリスク対策として、理化学研究所と中性子エネルギーを利用した非破壊検査装置の共同開発を始めました。この装置ではPC鋼材などの内部状況の可視化が可能であり、現在も進めていますが、最近、塩分濃度の非破壊検査が可能になるところまできています。  2012年の国土交通省国土交通大学校副校長を最後に退官し、一般財団法人橋梁調査会に入り、道路橋点検士資格の創設(現時点で、道路橋点検士6594人、道路橋点検士補986人)、国や自治体の道路橋の診断および技術相談等を行いました。  この間に道路橋の床版の穴あき事故が顕在化し、そのメカニズムや損傷事例をまとめた資料を作成して、国土交通省をはじめ関係機関に周知をして、事故防止を呼びかけました。  土木研究所勤務から橋梁調査会での仕事を通じて、日本の道路橋の危機的な状況を痛感して、これからは日本の道路橋を落橋させてはならない、事故を起こさせてはならないという思いで仕事をしています。  2017年7月に、現在の勤務先のオリエンタル白石に入社し、取締役執行役員(技術担当)を勤めています。  大学時代のPC研究の経験や土木研究所並びに橋梁調査会などでの経験を生かしながら、社内の技術的な支援を行い、その傍ら国や自治体の幹部の方々にお会いして、道路橋の安全確保や長寿命化を図るための資料を作成して、説明させていただいております。  次回は、自治体の道路橋点検の改革を熱心に行ってきた島根県財政課の石倉英明さんにリレーします。

愛知製鋼