泥臭い経験が財産

西村 一紀極東興和株式会社
大阪支店 技術部技術課長
西村 一紀

私は1995年に大阪工業大学を卒業し、極東工業(現・極東興和)に入社しました。神戸に住む私にとって、その年は兵庫県南部地震直後の混乱の中にありました。壊滅的な被害を受けた橋梁などの光景、自宅の半壊、親戚の安否確認に奔走した記憶は、大学の卒業や社会人としての第一歩以上に強烈な記憶として残っています。
入社後は広島本社でPC橋設計の基礎を学び、翌年からは3年間、神戸の土木コンサルタントへ出向しました。震災復興が進む街を肌で感じながら、橋梁以外の土木構造物設計に幅広く関わったこの時期は、人脈形成に加え、技術者としての多角的な土台を築く貴重な財産となりました。
4年目に自社へ復帰してからは、大阪支店を拠点に四国や関西のPC橋の設計・施工に従事しました。特に印象深いのは、2009年から14年にかけて携わった比較的難易度の高い大型工事の施工です。観音寺高架橋では、自走式門型クレーンを使用した32径間のPCコンポ橋の架設を、続く今戸高架橋では、仮固定構造や仮支柱を駆使した6径間連続PC箱桁橋の特殊な張出し架設を経験しました。設計・施工の両面から課題に挑み続けた日々は、現在の私の技術的バックボーンとなっています。
今戸高架橋の工期終盤、台風第12号による記録的な大雨(紀伊半島大水害)が発生し、地域唯一の幹線道路であった国道168号の折立橋が流出するという災害に遭遇しました。
孤立した地域の交通を一刻も早く回復させるため、私は今戸高架橋で撤去中だった仮桟橋の資材や重機を、急遽、折立橋の復旧へと転用する計画・設計を立案しました。河川内に盛土を構築して資材を運搬し、現場の状況に合わせて仮橋として再構築するという、まさに時間との戦いでした。
現場職員と一丸となり、24時間連続施工で交通復旧に挑んだ経験は、土木技術者としての使命を再確認させられる、私のキャリアにおいて決して忘れられない出来事となりました。
14年以降は内勤を主軸とし、新設PC橋の設計や設計照査だけでなく、外ケーブル補強や床版取替、グラウト再注入といった修繕・更新工事にも注力しています。
並行して05年頃からは、PC建協の委員会活動を通じて、京都大学の宮川豊章先生をはじめとする多くの学識者や、志を同じくする多くの同業者仲間に出会いました。中でもASR対策検討委員会では、大型PC試験体を製作してASR劣化を再現する実験的研究に参画し、これに続くICAAR2008(アルカリ骨材反応国際会議)での発表、fib2015への参加など、多角的な視点での交流ができたことは、今も私の継続的な学びの源泉です。
入社から30年。振り返れば、コンサルタントへの出向や災害復旧工事、PC建協での委員会活動など「泥臭い経験」の連続でしたが、それこそが今の私を支える財産です。これからも人との繋がりを大切に、一歩ずつ技術力の研鑽に努め、社会基盤を支える一躍を担っていきたいと考えています。
次は、PC建協での長年のご縁があり、現在は点検・診断業務でお世話になっているCORE技術研究所の西弘様にバトンをお渡しします。

愛知製鋼