鋼橋に関する研究開発

内田大介三井造船鉄構エンジニアリング(株) 技術本部技術開発室課長補佐 内田 大介

?年前、中学校を卒業した後の長めの春休み、TVのニュースには開通間近の瀬戸大橋と役目を終えるという宇高連絡船が映っていました。その時、見てみたいという衝動に駆られたのでしょうか。青春?切符を購入し、当時住んでいた横浜から、名古屋と神戸の親類の家を巡りつつ宇高連絡船に乗船しました。船からは瀬戸大橋がうっすらと見えたことを覚えています。先日、溶接学会のFS委員会で瀬戸大橋の見学がありました。翌日、中学生の時以来の高松港へ行って宇野港へ移動したのですが、感慨深いものがありました。  建設業界に漠然と興味があり、大学は法政大学工学部土木工学科に入学し、卒業研究では丁寧で分かり易い講義に惹かれていた森猛先生の鋼構造研究室に入りました。卒業論文と修士論文はそれぞれ、スカラップ溶接継手とボルト締めストップホール法により補修した面外ガセット溶接継手の疲労強度評価でした。これらは鋼橋のディテールの一部ですが、鋼橋メーカーに入った諸先輩方を見ていて自身も鋼橋に関わる仕事に就きたいと思うようになり、先生の勧めもあって三井造船に入社しました。  入社後の新人研修は会社発祥の地である岡山県の玉野事業所でした。事業所の最寄り駅は、もう来ることはないと思っていた宇野駅であり、降り立った時は会社との縁を感じました。配属は、鉄構・建設事業本部で研究開発関連の部署を希望しましたが、3年間は工場を経験すべきということで千葉鉄構工場設計部の橋梁設計Gr.に着任しました。3年後に本社技術部の技術開発Gr.へ異動し、鋼橋に関する研究に携われるようになりました。ここでの仕事は、コンクリート床版に関する検討業務や、鋼橋のトラブルシューティングが主体でした。その中で、上司から非線形のFEM解析の指導を受ける機会に恵まれ、現在でも役立っています。  また、法政大学大学院の博士後期課程に入学する許可も得て、再び森猛先生の下で疲労に関する勉強をさせて頂けることとなります。さらに、土木学会、日本鋼構造協会、日本橋梁建設協会、鋼橋技術研究会の活動もこの時期に開始し、社外での人脈が広がり始めます。順調に回り始めた3年間でしたが、鋼橋業界の諸問題の煽りを受け、所属していた技術部が解散となってしまいます。  そして、所属が技術本部→鉄構・物流事業本部→船舶・艦艇事業本部?内2年間は土木研究所の交流研究員?と転々とすることになりますが、技術開発Gr.時代のミッションは継続すべきという意志と鋼橋関連部署の方々の助けにより、溶接継手や鋼床版の疲労、防食に関する大学との共同研究や学協会活動は続けていました。この期間は、種々の鋼構造物に関する業務に携わりましたが、鋼橋以外の鋼構造物での経験も技術者として大きな財産となっています。特殊な職場環境下の?数年でしたが、多少の無理を認めて頂いた上司、陰ながら研究等を支援頂いた多くの方々には、この紙面をお借りして深謝致します。  昨年?月、子会社化されていた橋梁部門である三井造船鉄構エンジニアリングへ出向し、久々に表だって鋼橋の業務に携わっています。これまでの流れで多数参加している学・協会活動等もあり、直接的に会社の利益に貢献できていない点は心苦しく思っておりますが、鋼橋業界の衰退阻止に微力ながら役立てるよう、今後は若手の技術者の育成もしつつ、自身も研究開発を継続していきたいと考えています。  次回は、鋼構造研究室後輩首都高速道路技術センターの平山繁幸氏にお願い致します。

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