石の上にも三年

橋歴書写真 植田

㈱ビービーエム 技術本部生産設計 次長 植田 健介

「とりあえず3年間は我慢して頑張ってみろ」どこか斜に構えた感じで直ぐにでも辞めてしまいそうな印象を与える新入社員に上司が掛けた言葉です。大学では機械を専攻したものの卒業と同時には就職せずにアルバイトで貯めたお金で海外に行くなどしていたところ、親からの勧めと紹介で技術営業として採用されたのが株式会社ビービーエム(以下BBM)であり、私です。このような経緯で入った会社、業界であるため、当初橋梁に対して強い思いもなく、デスクワークが苦手な私は何かと口実をつけてはよく現場に出向いておりました。
そんな私が最初に手がけた設計の仕事は阪神高速道路3号神戸線のノージョイント化の支承設計でした。今考えると、初めての設計で制約条件が多く難しい支承交換によく手を出したものだと思います。果たして、すんなりと事が運ぶはずもなく、施工業者の所長に怒られながら、業者の設計の方に教えてもらいながらの初仕事でした。
ただしこの初仕事は納入して終わりではありませんでした。竣工を目前に兵庫県南部地震が発生します。当時私は阪神芦屋駅の近くに一人暮らしをしており阪神高速道路が約600㍍にわたり倒壊した深江本町の現場からは1キロも離れておらず、まだ辺りにガソリンの臭いが漂い目の前に路面がそびえ立つあの異様な光景はいまだ目に焼き付いています。
ところで、私の初仕事の橋梁はというとゴム支承による地震時水平力分散構造に移行したのが功を奏したのか、設計移動量相当の変位が生じたにも関わらず大きな損傷には至らなかったと後日聞くことが出来安堵したのと同時に、自分の仕事がインフラを守るための重要なものだと認識するようになりました。このあと私は乗った舟から降りようかどうか考える余裕もない流れに巻き込まれていきます。
兵庫県南部地震を機にゴム支承の採用が大幅に増えましたが、ゴム支承の大型化や高コスト化の問題を抱えるようになります。これらの対策としてBBMでは機能分離型支承装置の開発に乗り出し、この仕事に参加する中で実験を通して大学の先生方と交流させて頂く機会を得ました。
更に機能分離型支承装置より派生した固定支承「FxSB」がE-ディフェンスにおける実大橋梁模型による振動台実験に採用され、その支承設計を担当したことで耐震分野における著名な方との交流を大きく広めることが出来ました。これらの人脈を考慮してか平成21年から3年間、独立行政法人(現国立研究開発法人)土木研究所に交流研究員として勤務する事になります。この間様々な実験の見学や技術相談の傍聴、そして何より太平洋東北沖地震の調査への参加や道路橋示方書の改定作業に関わらせて頂いたのは本当に貴重な経験であったと思います。 考えてみると土木出身でもない私がこうして仕事を続けられてきたのは、施工現場、地震災害の現場、実験の現場など、常に現場で実際にものを目にすることが出来たこと、また現場で知り合った多くの方々からの助けがあってのことと思います。「とりあえず3年」が、気が付けば24年近くになりこのような文章を書かせていただいております。若い技術者の皆さん、是非とも外に出て現場を見て下さい。現場で多くの人達と交流して下さい。これらをお勧めして私の橋歴書を結びたいと思います。
次に紹介させて頂くのは、一般社団法人 日本建設機械施工協会 施工技術総合研究所 研究第二部主任研究員の渡邉晋也様です。よろしくお願い致します。

愛知製鋼